日本独特なのかもしれないが、日本人は桜が大好きだ。
そのせいか老朽化して倒壊が予測される桜の古木も、いざ早めに切り唐オて安全確保をしようとすると、たちまち地元で反対運動が起きる。
私の通勤路の途中にある桜の木も、反対運動のおかげで残された古木であった。惜しむ人の気持ちはわかる。なにせ根本回りだけで大人が二人手を回さないと囲めない巨木である。
毎年、3月の終わりになると、桜の花が満開となり近所の人だけの目を楽しませてくれる。公園のど真ん中にあり、シートを引いて酒宴を楽しむ家族連れが複数いた。わりと穴場の桜の名称であったと思う。
しかし9月に関東を直撃した台風15号の強風に、この桜の古木は耐え切れなかった。台風一過の朝には、この桜の巨木の内、一本が倒れていた。文字通り根こそぎに倒れていた。
公団のなかの敷地内であったせいか、その週末までには倒れた古木は撤去されていた。残されたもう一本の桜の巨木が、心なしか寂しげに見えた。
その後の団地内での自治会の会合の席での話が伝わってきた。
実はその桜の巨木は、地元では夫婦桜と呼ばれていたが、しばしば、どちらが夫で、どちらが妻なのかが話題になっていた。その論争に結論が出たそうである。
はい、残った桜が妻であったと認定(@自治会)されたそうである。不満げな方もいたそうだが、誰も反対することなく決まったそうである。
まぁ分からなくもない結論ではある。でも、夫のほうが長生きする夫婦もあるよなぁと思ったが、そこは黙っていた。
ただ私の周囲では、夫婦の片一方が先だった場合、残された方が元気にその後を生きるのは、圧倒的に女性だと思う。どうも男はだらしなくていけない。服装もだらしなくなるし、なんとなく覇気がなくなってしまう。
そう思うと、私のじいちゃんは偉かった。おばあちゃんが亡くなった後も、十数年生き延びた。まぁ、母が同居して食事などの面倒看ていたこともあるが、じいちゃんは海外旅行に、写真、近所の老婦人とデートとけっこう多忙であった。
最後に倒れた時も、母や叔父、叔母の大半が揃うまで息があったので、たいした生命力だと思う。でもね、おじいちゃん、あたしゃその真似は出来そうもないよ。
でも最後は台風の強風で悼オた桜の木のように、見事に散りたいとは思っているのですけどね。