ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

スー・チー女史は善人か 高山正之

2021-02-25 11:53:00 | 

歴史は勝者によって刻まれる。

勝ったものこそ正しい。負けたものの主張なんざ何の価値も見出せない。その通りだと私は思う。でも、過去になにがあったかは把握しておくべきだと思う。

臥薪嘗胆ではないが、過去の敗北を屈辱と思う感情は自然なものであり、知らないふり、忘れたふりはむしろ不健全だと思う。

なにも復讐しろと煽っているのではない。過去に何があったかを認識したうえで、同じ思いを子孫に味あわせない為にも、過去をしっかりと理解するべきだ。

ただし、現状正しいとされるのは勝者の理屈である。この勝者の権利に盾突くのは安易にするべきではない。裏で牙を磨きながらも、表向きは面従腹背の姿勢を崩さないことが肝要だ。

それが出来ないお馬鹿が隣の半島にいるので、反面教師として欲しい。

繰り返すが歴史は勝者によって書かれるものだ。しかし、その書かれたものが真実であるかどうかは別問題だ。

歴史上卑劣さと悪辣さで勝者となったものが紳士の国を気取る偽善ぶり。醜さと欺瞞を文化で覆い隠したが故の芸術の国、それを知りつつ見て見ぬ振りをして尻尾を振る醜さ。

人類の歴史は裏切りと搾取と傲慢により描かれてきた。その上澄みだけを切り取って勝者は自らの栄華を正当化しただけだ。美しい水面に隠されている水底に穢れた汚物があることを忘れてはならない。

暗かった町を明るく変えた街灯の油は、クジラを殺して、脂身を絞って作られたものである。美しいレンガ造りの街は、故郷から攫われて異国で重労働に喘ぐ黒人奴隷たちの血と涙が源泉である。

華やかな舞踏会を彩る美しいドレスと食卓を彩る美食の数々は、子供や老人の辛苦を土壌に生み出された。プロシアのビスマルクは鉄と血によって国家は作られると豪語したが、その鉄を掘り出し燃やす原材料は遠い異国の地の住民の血涙により産み出されたことは知らないだろう。

現代の文明は欧米が切り開き牽引してきたものであり、我が日本はその追随者である。この鉄とコンクリと電気と石油により築かれた文明は、他の文明を磨り潰し、蹴散らし、搾り取って出来たものだ。

卑下する必要はないが、そのおぞましい一端を知っておいても良いのではないかと思う。そんな一助になるのが表題の作品です。

コメント
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