奴隷制度の歴史は長い。
おそらく農耕生活に入る前、狩猟採取生活が主体であった頃からあったと思われる。つまり人類の歴史の大半において存在したのが奴隷だ。
私の想像では、現生人類が他の直立猿人との生存競争の過程で既にあったと思われる。これは遺伝子工学の進歩により判明したのだが、クロマニヨン人と呼ばれる現生人類と旧人類とされるネアンデルタールとの間には複数の近縁種の直立猿人がいたようだ。彼らとの生存競争の結果、行き残り勝者となったのが我々現生人類である。
その過程で、戦いに敗れた側と我々クロマニヨンとの間でかなりの混血があったようだ。これは先史時代のみならず、比較的近世に近い時代でも、征服者であり侵略者である側が、敗者の側を獲得物とすることは珍しくなかったことからも分る。
ただ文明の進化が、次第に奴隷を持つことを不合理なものとしていった。奴隷にさせられる仕事は、農作業や土木作業など簡単なものに限定されてしまう。複雑な作業には、文字の読み書きの能力が求められ、その取得には教育といった知的鍛錬が必要なため、奴隷には不向きであったからだ。
決定的だったのは産業革命で、工場労働者に求められる仕事は、奴隷がこなすにはいささか複雑に過ぎた。もちろんプランテーションなどで奴隷を活用することは、なかなか止められなかったが、農作業にさえ機械化の波が入ってくると、もはや奴隷は使い辛いものとなる。
そして知的訓練を受けた奴隷は、必然的に奴隷所有者に対して抵抗をし始める。さりとて産業の高度化は、知的訓練を受けた人材を必要とする。奴隷は活かさぬよう、殺さぬように遇し、希望を与えず絶望に馴れさせることが肝要だ。しかし、産業の進化が、それを許さなくなった。
奴隷制度が終結したことに、人権思想が強く働いたことを否定はしない。しかし、高度産業という新たな仕事に就かせるための労働力を必要としていた経済界からの要求が大きく働いたことも事実である。
その典型例が19世紀のアメリカである。この時代のアメリカは産業革命が少し遅れて始まったが、工業の発展は本家ヨーロッパを凌ぐほどであった。この工業の新たな進展に必要なのは、知的訓練を受けた労働者であり、奴隷は不要であった。
ただし、それは工業が発達したアメリカ北部であって、綿花やサトウキビ等のプランテーション農業が産業の主体であったアメリカ南部では、奴隷労働力こそが求められる。
この時代のアメリカは、各州政府の連合体がアメリカ政府であって、その権限はあまり強くない。それゆえ奴隷制度を必要とする南部諸州と、知的訓練を受けた労働者を必要とする北部の各州とでは意見が合わなかった。
南部の黒人奴隷にとって皮肉だったのは、アメリカが自由と平等を標榜する国家であったことだ。より正確には信教の自由を求めるピューリタンが理想の国を築こうと大西洋を渡り、新大陸で立ち上げたのがアメリカであった。
あくまでキリスト教内部の問題が主であり、決して人権思想に基づく自由と平等の国ではなかった。本来はキリスト教における新教派であるプロテスタントが築き上げた自由の入植地であったのだが、やがてなし崩し的にカトリック教徒も自由(商売の自由だと思う)を求めて渡ってきた。
もう既に宗教戦争の時代は終わっていたので、カトリックも受け入れざるを得なくなり、その過程で自由と平等が堂々と看板に書き記されることになった。それを暗い瞳で見ていたのが、アフリカから連れてこられた黒人奴隷たちであった。
私には白人キリスト教徒の傲慢さが感じられて不快なのだが、このツケは最終的には南北戦争により払わされることになる。ただ、日本では間違って教えられているが、南北戦争はあくまで工業中心の北部の州政府と、農業中心の南部の諸州との権力争いである。
リンカーン大統領は、戦争に勝つための方便として黒人解放を言い出したのであって、本心ではあまり関心はなかった。その証拠に、解放された黒人たちの第二の人生設計には無関心であった。それゆえ、せっかく解放されたが生きていく術が分からず「寛大な旦那様、再びワシらをやとってください」と元の奴隷所有者の元に戻る黒人たちは少なくなかった。
そんなアメリカで、最も不幸だったのは、ある程度知的訓練を受けて教養があった南部の黒人奴隷であろう。リンゴ(知恵)を齧ったが故に裸体でいることを恥じて、最終的にはエデンの園を追放されたアダムとイブのように、教養を得たが故に奴隷の屈辱に苦しめられた。
表題の書の主人公がまさにその典型であった。長い間、本物の奴隷が書いた本だとは分からず、歴史の闇に埋もれていた作品であり、近年に至りようやくその真価が知られるようになった。
奴隷が受ける屈辱と、そこから抜け出すための地獄の日々を綴った本書が、まさか黒人奴隷その人により書かれているなんて、誰も思わなかった。私はこのあたりにも、黒人奴隷に対する蔑視を感じてしまう。この時代、読み書きの出来る黒人は少なかったのは事実だろうけど、それは奴隷社会を維持するための檻だと思う。
それと著者の本意ではないだろうけど、黒人が黒人を搾取する事実が率直に書かれていることも印象に深い。奴隷制度が如何に人々の心を傷つけるかの証左であろう。
ここで最後に嫌な予測をしておく。化石燃料多消費型の文明で暮らす私たちだが、そう遠くない未来において氷河期が到来した場合、文明の多くが崩壊するでしょう。
そうなれば野生の生き方が復活する可能性は高い。そこで奴隷制度は復活する可能性があると考えています。知的教養を必要としない野生の時代になれば、再び奴隷を求める人間の本性は、そうやすやす根絶されないと考えるが故です。