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ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

敵基地攻撃能力

2022-02-07 09:29:00 | 社会・政治・一般

攻撃は最大の防御である。

別に特段驚くようなことではないはずだ。野球やサッカーなどのスポーツはもちろん、将棋や囲碁でもよく云われることである。

ところが、これが現実の軍事的脅威が問題になると、途端におかしくなるのが今の日本である。

20世紀後半は冷戦下であり、ソ連の核ミサイルこそが脅威であったが、アメリカの核の傘により日本列島は守られた。しかし、日本が経済的成長を遂げアメリカが脅威に思うほどに大国化すると、徐々に自主防衛を求められるようになった。これが難題であった。

太平洋戦争の敗戦後、吉田内閣以来、日本は軍事に関して極力消極的になることで荒廃した社会の立て直しを目指した。その代償が日米安保条約であり、アメリカが守ってくれたからこそ、経済再建に傾注できた。

しかし皮肉なことに、その経済再建とその後の高度成長がアメリカの脅威となった。日本と西ドイツからの輸入超過がアメリカ経済にダメージを与えるようになると、貿易摩擦として問題化した。

その結果、西ドイツはNATOに依存することでアメリカの軍事負担を軽減させた。問題は日本である。頑なに防衛支出の増額に抵抗し、自主防衛を嫌がった。かつての敵国である日本を自由勝手に軍事大国化させることに懸念を持つアメリカ国内の勢力もあり、それがアメリカを殊更苛立たせた。

そうこうしているうちに、シナやコリアが軍事力の近代化を推し進め日本への攻撃手段を多様化させた。そうなると日本列島を重要な兵站拠点としているアメリカは危機感を募らせた。さりとて、これ以上に日本列島に配置した米軍基地の防衛力強化に予算は割けない。

だが幸いにして戦後40年以上経つと、日本国内にも自主防衛の機運が出てきた。とりわけ東日本大震災で自衛隊への国民の信頼が深まるようになると、当然に攻撃は最大の防御といった大原則に立ち返ることが話題に上がるようなる。

改めて確認するが、別に先制攻撃せよと煽っているのではない。相手が攻撃してくるのなら同等以上の反撃をするよと威嚇することが基本である。これは先制攻撃も出来るよと相手を威嚇し、相手の先制攻撃を抑制することが目的である。

本当に先制攻撃するのならば、隠密に、相手に知られずいきなり攻撃し、相手の反撃する力を喪失させる。しかし、多くの場合、先制攻撃が出来る能力は、実際には発揮されず、威嚇して相手の先制攻撃を押しとどめることで済まされる。

冷戦時代、アメリカとソ連が相互に睨み合い、幾つか真剣な危機を迎えつつも互いに抑制しあったのは、まさに攻撃は最大の防御の原則を守っていたからに他ならない。攻撃あるいは反撃する能力が不足している場合は、むしろ容易に先制攻撃は実施される。それが歴史が教える現実である。

しかし、日本では相手基地を先制攻撃できる能力を持つこと自体を、戦争を招くとして忌避するおかしな思考が蔓延している。私はこれを忌み言葉を禁じる言霊信仰の一つだと考えている。

信仰なので、道理や論理が通じない。ただ、幸いにして、この手の脳内お花畑の平和真理教信者は、さほど多くない。一番多いのは、事なかれ平和主義者であろう。なにもしなければ、平和は保たれると信じたがる現実逃避型平和主義者である。この後者が日本では多数派であるから困る。

幸いにして、この手の現実逃避型平和主義者は長いものに巻かれる傾向が強いので、今の与党が相手基地への先制攻撃能力を高める施策を実施しても、積極的な反対はしないと思われる事でしょう。所詮、口先だけの平和主義者ですからね。

コメント
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