人間と云う二足歩行哺乳類が地球上に生息域を広められた最大の原因は、集団戦闘に長けていたからだ。
個体としての人間は、強大な牙も鋭い爪もない。筋力もさほど強くないし、反射神経だってさほど優れている訳ではない。それにも関わらず、他の猛獣たちを撃退し、自らの棲息領域を拡大できたのは、集団戦闘すなわち戦争に強かったからだ。
その優れた知能で会話により集団での行動を統制し、手先の器用さで石器や汲ネど武器を活用し、一対一では決して勝ち得ぬ他の哺乳類との生存競争を勝ち抜いた。そして、その経験を子孫に伝えることが出来た。
人間と文明について考察するには、人間と戦争との関係は決して無視してはいけない。良心的に平和を愛する方々は嫌がるだろうけど、人間にとって戦争は必要不可欠な行為である。
だからこそ、戦争は真面目に取り上げねばならない。軍事学がこの世に必要とされる所以である。
ところが戦後に日本では、戦争を忌避するあまり、真剣に戦争を学ぶことを止めてしまった。とにかく戦争に反対すれば平和は叶うと誤魔化した。このおかしな傾向は、右派左派を問わず横行していたが、どちらかといえば政治実務とは縁遠い左派に多くみられた。
だがベルリンの壁が崩壊し、左派が夢見た社会主義の無残な現実が露呈してしまった。同時に冷戦が終わった(アジアでは継続中ですが)ことで戦争がなくなるのではなく、民族問題と宗教問題が噴出して小規模な戦争が世界各地で勃発した。
ようやく日本でも軍事知識の重要性が必要だとの認識が高まってきた。湾岸戦争時、NHKで解説していた江畑謙介氏のような本物の軍事ジャーナリストがその代表である。
この流れに表面的に乗ってきた似非軍事ジャーナリストが湧いて出てきたのも無理ないと思う。その一人が最近、割とよくその文章をみかけるようになった半田滋氏であろう。
下野新聞を皮切りに中日新聞、東京新聞と渡り歩いてきた左派系の記者であった。なにせあのピースボートの世界一周旅行出身であり、当然にその主張は反自民、反米である。近年は防衛省担当の記者であったようで、防衛省直々の特別講義を受講していると吹聴している。
現在は防衛ジャーナリストと名乗ることが多いようだが、問題はその書いた記事の中味である。プロの記者だけに、それなりの文章を書くが、その軍事に関する記事は稚拙というか、知識不足、思い込み過剰の駄文が多い。
本当にこの人、軍事の専門家なのかと疑うレベルである。まァそれもそのはずで、防衛省の特別講義は3週間程度の短期講習だし、実際の戦場での取材経験はほぼないに等しい。別にこの方だけではないが、いわゆるホテル記者である。
ちなみにホテル記者とは、安全なホテルに籠って、外信の末L事を日本に送って戦地情報を流すことを仕事にしている記者をいう。一見、戦場にたっているような映像も、実は米軍に守られた安全な場所からの演出に過ぎず、その滑稽さを外国のジャーナリストに揶揄されている始末である。
その癖、プライドは高いらしく記名記事を堂々と書くが、その内容がひどい。その軍事知識は単なる軍事知識好きの素人である私以下である。多分、この人にとっては、防衛ジャーナリストという肩書は、自分の記事の信ぴょう性を高めるための小道具程度なのだと思う。
実際、書いている記事を読むと、相手を攻撃できる兵器があるから戦争の危機が高まるといった夢の国のお花畑で平和の舞を見ている人の駄文である。だから当然にサード配置反対であり、オスプレイ配備反対である。
読む必要のない記事を書く人だが、意地の悪い私はこの人の記事から左派ジャーナリストの本音を読み取ることにしている。文章はさほどひどくないので、分かり易いバカであるのが救いであろう。
個体としての人間は、強大な牙も鋭い爪もない。筋力もさほど強くないし、反射神経だってさほど優れている訳ではない。それにも関わらず、他の猛獣たちを撃退し、自らの棲息領域を拡大できたのは、集団戦闘すなわち戦争に強かったからだ。
その優れた知能で会話により集団での行動を統制し、手先の器用さで石器や汲ネど武器を活用し、一対一では決して勝ち得ぬ他の哺乳類との生存競争を勝ち抜いた。そして、その経験を子孫に伝えることが出来た。
人間と文明について考察するには、人間と戦争との関係は決して無視してはいけない。良心的に平和を愛する方々は嫌がるだろうけど、人間にとって戦争は必要不可欠な行為である。
だからこそ、戦争は真面目に取り上げねばならない。軍事学がこの世に必要とされる所以である。
ところが戦後に日本では、戦争を忌避するあまり、真剣に戦争を学ぶことを止めてしまった。とにかく戦争に反対すれば平和は叶うと誤魔化した。このおかしな傾向は、右派左派を問わず横行していたが、どちらかといえば政治実務とは縁遠い左派に多くみられた。
だがベルリンの壁が崩壊し、左派が夢見た社会主義の無残な現実が露呈してしまった。同時に冷戦が終わった(アジアでは継続中ですが)ことで戦争がなくなるのではなく、民族問題と宗教問題が噴出して小規模な戦争が世界各地で勃発した。
ようやく日本でも軍事知識の重要性が必要だとの認識が高まってきた。湾岸戦争時、NHKで解説していた江畑謙介氏のような本物の軍事ジャーナリストがその代表である。
この流れに表面的に乗ってきた似非軍事ジャーナリストが湧いて出てきたのも無理ないと思う。その一人が最近、割とよくその文章をみかけるようになった半田滋氏であろう。
下野新聞を皮切りに中日新聞、東京新聞と渡り歩いてきた左派系の記者であった。なにせあのピースボートの世界一周旅行出身であり、当然にその主張は反自民、反米である。近年は防衛省担当の記者であったようで、防衛省直々の特別講義を受講していると吹聴している。
現在は防衛ジャーナリストと名乗ることが多いようだが、問題はその書いた記事の中味である。プロの記者だけに、それなりの文章を書くが、その軍事に関する記事は稚拙というか、知識不足、思い込み過剰の駄文が多い。
本当にこの人、軍事の専門家なのかと疑うレベルである。まァそれもそのはずで、防衛省の特別講義は3週間程度の短期講習だし、実際の戦場での取材経験はほぼないに等しい。別にこの方だけではないが、いわゆるホテル記者である。
ちなみにホテル記者とは、安全なホテルに籠って、外信の末L事を日本に送って戦地情報を流すことを仕事にしている記者をいう。一見、戦場にたっているような映像も、実は米軍に守られた安全な場所からの演出に過ぎず、その滑稽さを外国のジャーナリストに揶揄されている始末である。
その癖、プライドは高いらしく記名記事を堂々と書くが、その内容がひどい。その軍事知識は単なる軍事知識好きの素人である私以下である。多分、この人にとっては、防衛ジャーナリストという肩書は、自分の記事の信ぴょう性を高めるための小道具程度なのだと思う。
実際、書いている記事を読むと、相手を攻撃できる兵器があるから戦争の危機が高まるといった夢の国のお花畑で平和の舞を見ている人の駄文である。だから当然にサード配置反対であり、オスプレイ配備反対である。
読む必要のない記事を書く人だが、意地の悪い私はこの人の記事から左派ジャーナリストの本音を読み取ることにしている。文章はさほどひどくないので、分かり易いバカであるのが救いであろう。