ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

埼玉人質殺傷事件

2022-02-17 12:51:00 | 社会・政治・一般

夢は必ず叶う。

私はこの言葉が大嫌い。現実はむしろ残酷で、夢から醒めれば冷たい現実が待ち受けている。

ところがこの現実の冷徹さに子供が傷つくのを厭う親が少なくない。どんなに欲しても叶わぬ希望があることを教えようとせず、その場限りの優しさで誤魔化す。

そのような育て方をされた子供は、大人になっても残酷な現実を受け止めることを嫌がるようになる。現実から目を背け、空想の世界に逃げる。いや、それならまだ害はない。厄介なのは、自分の意に染まぬ現実に苛立ち、それを他者のせいにして憎むことだ。

つい最近、埼玉でおきた訪問診療を行う医師が殺傷された事件が起きたが、私はこの犯人がそのようなタイプではないかと想像している。

マスコミの報道では、犯人の母親を訪問診療していた頃から、既に治療方針を巡って医師と揉めていたらしい。あげくに母親の死後、犯人に頼まれて弔問にきた医師に、甦生させろと無理難題を押し付けて断わられると、猟銃でズドンである。

この犯人は66歳無職とのこと。高齢の母親を介護していたそうだが、複数の病院でトラブルを起したとの報道もある。おそらく母の年金と生活保護で暮らしていたのだろう。

私からすれば60代というのは自身の死をも考える年代であり、親の死であったとしても、それは慫慂として受け入れるべきが普通だと思っている。しかし、この犯人にはそのような心根はなく、むしろ母親を必死で介護する自身を美化することで貧しい生活を耐え忍んでいたのではないかと想像してしまう。

少し酷な言い方をすれば、母親を介護する反面、母親にすがるような甘えを感じてしまう。その母親の死は、彼の甘えを断ち切る契機になるはずだが、それに耐えきれず、八つ当たりのように周囲の人間に当たり散らしていたのではないかと邪推してしまう。

多分、この犯人、子供の頃から相当に母親に甘やかされて育ったのではないかと思う。母親以外に頼るべき術がない生き方になってしまったのではないか。だからこそ母親を失って自暴自棄になったのかもしれない。

たかがニュースで見聞きした程度の事件で何を興奮しているのかと思われるだろうが、似たようなタイプを幾人か知っているので他人事とは思えない。もちろん、各家庭ごとにいろいろと事情はあるであろうことは分かる。

でも私が知る範囲では、この手の我儘犯は、子に甘い親に育てられたケースが大半だ。躾け不足というか、子供に厳しさに耐えることを教えていない。いや、子供に好かれようと思ってか、子供の欲望優先の子育てをして、それを優しい教育だと決めつけていた。

今風に云えば、「叱らない教育」って奴だ。私はこの手の甘やかし教育を受けた子供がまともに育ったケースを知らない。いや、この叱らない教育は、私に言わせれば教育放棄に近い。

よく母親がこのような甘い躾の元凶のように批難されることがあるが、では父親は何をしていたのか。父親も又、同罪で仕事に逃げて、子供を躾ける辛さから逃げて、母親に押し付けて知らん顔している。

私に言わせれば、父親もまた教育放棄の主犯である。この手の甘やかし放題の家庭環境で育った子供は、不思議なほど他者に対して攻撃的になる。自らの心の弱さから厳しい社会に耐えられないことを、他者を攻撃して誤魔化す。

もしかしたら昔からいたのかもしれないが、私には戦後の経済成長中心の社会が産み出した欠陥に思えてなりません。

コメント (3)
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