人生には幸運と不運がある。
非科学的だと思うが、半世紀以上生きていると、幸運により成功はもたらされ、不運により突き落とされる不合理を認めざるを得ない。私はどちらも経験しているのだが、未だに納得はしていない。でも致し方ないものとして受容はしている。
身体がボロボロであり、一般的な立身出世の道からは大きく外れた私が、それなりに成功しているのは、私でもよく分からない幸運の要素が大きく働いていると自覚している。
もちろん自分自身で出来る努力は人並みにやってきた上での成功だとの自負はある。それでも望外の幸運に恵まれているからこそ、今の自分があることは謙虚に認めなければいけないと思っている。
でもいずれ不運も訪れるとも予測している。私の人生は山あり谷ありで、日向と日陰を交互に歩んできたのだから、それもまた当然だと思っている。
だからこそ、それなりに対策もしている。幸運が訪れた時には、それを周囲にも分け与えるようにしている。これをしておかないと不幸が訪れた時、孤立してしまうからだ。自分一人で成功した訳ではない。常に自分にそう言い聞かせている。
今、永田町の片隅でなんでこうなったのだと自問自答しているのが、岸田首相ではないかと私は少し意地悪に邪推している。
正直言って、この方首相になれるとは思わなかった。人望も器量も足りないと思っていたからだが、それでも自身の政治家としての姿勢に真摯だとは評価していた。でも、これほど人を見る目がない人だとは思わなかった。
岸田首相が内閣を作る際、巧妙にバランスをとっているのは分かったし、選んだ人も政治家としての野心、あるいは立身出世欲は十分だと思った。野望や欲望を蔑視する人は多いけど、民主主義においては人の欲を制する器量がないと、ただの役立たずになる。あの反対するしか能がない野党政治屋どもをみれば分かる。
ただ閣僚として選んだ人たちは野心はあっても細心さに欠け、野望はあっても裏付けとなる土台は脆弱に過ぎた。あの故・安倍首相が長期政権を可能にしたのは、細心の注意を払って自らの政治資金などに不正がないようにと土台作りをしっかりとしていたからだ。
並の政治家は、政治団体と云う資金集めに便利な存在に甘えて脇が甘くなる。野党、反日マスコミが必死になってアベがァ~、森友がァ~と騒いでも、結局安倍氏を追い詰められなかったのは、まさに政治家としての資金面の土台がしっかりしていたからだ。
それを間近で見ていたはずの自民党の中堅政治家たちは、いったい何を見ていたのだろうか。岸田首相自身は、その点かなりしっかりしていたご様子。でも彼が選んだ閣僚たちは、政治家としての資金面での土台がボロボロである。
おかげで岸田内閣の支持率は下がりっぱなし。それを内閣改造で乗り切ろうとしているところが甘いと思う。内閣改造で支持率を大幅に上げた首相なんて、ほとんどいない。むしろ下げる一方なのが普通だ。
しかも増税路線を打ち出そうとしているのだから、岸田首相の見通しの甘さには呆れてしまう。高齢化社会を迎え、高福祉政策をやろうと思えば、増税路線は必要かもしれない。しかし少子化社会と経済活動の縮小を迎える21世紀の日本を考えれば、むしろ行政の役割を減らし、民間活力を活かす方向、すなわち行政改革が必要となる。
小手先の改革で乗り切れる訳がない。そしてその改革の最大の目玉は行政の縮小である。これは既定路線であり、行政の末端では既に始まっている動きでもある。ただ肝心の霞が関が最大抵抗勢力となっている。
そして反日マスコミの最大の支持者である日教組を始めとした労働組合も、行政の縮小には大反対である。でも日本政府は必ずや行政改革に手を付けずにはいられない。税収が減少することが予測出来ている以上、これは避けられない。そのことは上層部は認識している。でも総論賛成、各論反対なのである。
岸田首相は、これらの諸問題に対してお得意の「検討します、検討します」で済ませている。そこを見透かされているから、小手先の内閣改造で支持率は上がる訳がない。
年始早々に嫌な予測だが、かつての民主党の野田首相と同じく政権脱落の引き金を引いてしまう気がします。そして、その後は実行力なき連合政権となって、官僚にいいように操作されるでしょうね。