私の歴史好きは中学生の頃からだ。
高校への進学予定がなかった私なので、勉強そのものに興味がなかった。しかし、読書好きであったからか歴史は好きな授業だった。歴史の教科書だけは、授業の進度とは関係なく、勝手に読み進めていた。
好きな分野だからこそ気が付かなかった。歴史って分野は、凄まじいほどに政治的であることに。
最初のきっかけは、代々木ゼミの武井先生の世界史の講義であった。世界史とは、遅れて近代化したドイツにおいて提唱された学問で、その目的はヨーロッパによるアフリカ、アジアの侵略に歴史的な正当性を与えることであった。
白状すると、その時は驚きはしたが、その意味するところを理解するだけの知性が私にはなかった。歴史という学問が、実は政治的な志向性の強いものであることに自身で気が付いたのは、難病の療養中であった。
毎日、大量の薬を飲むために食事を摂り、後は寝ているだけの生活に飽き飽きしていた私の数少ない楽しみが、週に一度の図書館通いであった。世界史、日本史、軍事史、経済史、動物や植物、爬虫類、鳥などの博物ものと、とにかく知識欲を満たす為の読書に没頭した。
20代半ばを過ぎてようやく私はマルクスの唯物史観から足を抜けつつあった。同時にシナの中華正統史の歪みにも気が付き始めていた。学校教育から離れてようやく、私は自分の頭で物事を考える勉強の楽しみを覚えるようになった。
ただWV部での登山に明け暮れた大学時代に、専門的な勉学の仕方を知らずに過ごした為、系統だった知識の整合には苦労した。おかげで気が付かなかったことが多々あったことに還暦過ぎて気が付く有り様である。
育ちの問題もあった。私は東京の原住民であり続けたため、関西のアカデミズムに無縁であった。だから京都奈良の地勢を実感できないので、古代日本史に関して知識が薄っぺらい。また東大を頂点としてアカデミズムに慣れ過ぎて、京都の西田幾太郎、今西錦司、梅棹忠夫にも疎かった。
だからこそ川勝氏の提唱する海洋史観とも無縁であった。正直考えたこともなかった。本当は表題の書を読んでもらうのが一番だが、前提となる大陸史観について一言書き添えたい。
従来の世界史、すなわち欧州で生まれた世界史では、世界史を新大陸の発見及びインドとの交易をもって新世界の始まりとする。しかし海洋史観に立てば、アジアとイスラムは、それ以前より東南アジアを介して新世界を構築していたこと。
ユーラシア大陸に囚われると、イスラムとシナとの海洋交易が見逃されてしまい、却って歪んだ世界史となってしまうこと。ユーラシア大陸の両端にあるイギリスと日本という島国が、何故に近代史のなかで重要な役割を果たしているのかは、海洋史観に立たないと分からない。
私は川勝氏が提唱している海洋史観を全面的に支持してはいませんが、既成の枠組みを外して、新たな歴史観、世界観を呈示してくれたものとして学ぶに値すると考えています。
少し脱線しますが、歴史家として十分な見識を持ちながら、静岡県知事という政治の場に立つと、何故にこの人おかしくなるのでしょうかね・・・どうも晩節を汚しているとしか思えないのですけど。
高校への進学予定がなかった私なので、勉強そのものに興味がなかった。しかし、読書好きであったからか歴史は好きな授業だった。歴史の教科書だけは、授業の進度とは関係なく、勝手に読み進めていた。
好きな分野だからこそ気が付かなかった。歴史って分野は、凄まじいほどに政治的であることに。
最初のきっかけは、代々木ゼミの武井先生の世界史の講義であった。世界史とは、遅れて近代化したドイツにおいて提唱された学問で、その目的はヨーロッパによるアフリカ、アジアの侵略に歴史的な正当性を与えることであった。
白状すると、その時は驚きはしたが、その意味するところを理解するだけの知性が私にはなかった。歴史という学問が、実は政治的な志向性の強いものであることに自身で気が付いたのは、難病の療養中であった。
毎日、大量の薬を飲むために食事を摂り、後は寝ているだけの生活に飽き飽きしていた私の数少ない楽しみが、週に一度の図書館通いであった。世界史、日本史、軍事史、経済史、動物や植物、爬虫類、鳥などの博物ものと、とにかく知識欲を満たす為の読書に没頭した。
20代半ばを過ぎてようやく私はマルクスの唯物史観から足を抜けつつあった。同時にシナの中華正統史の歪みにも気が付き始めていた。学校教育から離れてようやく、私は自分の頭で物事を考える勉強の楽しみを覚えるようになった。
ただWV部での登山に明け暮れた大学時代に、専門的な勉学の仕方を知らずに過ごした為、系統だった知識の整合には苦労した。おかげで気が付かなかったことが多々あったことに還暦過ぎて気が付く有り様である。
育ちの問題もあった。私は東京の原住民であり続けたため、関西のアカデミズムに無縁であった。だから京都奈良の地勢を実感できないので、古代日本史に関して知識が薄っぺらい。また東大を頂点としてアカデミズムに慣れ過ぎて、京都の西田幾太郎、今西錦司、梅棹忠夫にも疎かった。
だからこそ川勝氏の提唱する海洋史観とも無縁であった。正直考えたこともなかった。本当は表題の書を読んでもらうのが一番だが、前提となる大陸史観について一言書き添えたい。
従来の世界史、すなわち欧州で生まれた世界史では、世界史を新大陸の発見及びインドとの交易をもって新世界の始まりとする。しかし海洋史観に立てば、アジアとイスラムは、それ以前より東南アジアを介して新世界を構築していたこと。
ユーラシア大陸に囚われると、イスラムとシナとの海洋交易が見逃されてしまい、却って歪んだ世界史となってしまうこと。ユーラシア大陸の両端にあるイギリスと日本という島国が、何故に近代史のなかで重要な役割を果たしているのかは、海洋史観に立たないと分からない。
私は川勝氏が提唱している海洋史観を全面的に支持してはいませんが、既成の枠組みを外して、新たな歴史観、世界観を呈示してくれたものとして学ぶに値すると考えています。
少し脱線しますが、歴史家として十分な見識を持ちながら、静岡県知事という政治の場に立つと、何故にこの人おかしくなるのでしょうかね・・・どうも晩節を汚しているとしか思えないのですけど。