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勉強が良く出来るおバカ、それが私の評価だ。
教育無償化という目標を掲げるのは良いとしても、それを党名にするのがおバカ。政治というものを理屈だけで考えるから、何が必要なのか、何が足りないのかが分からない。自分が正しいと信じているから、自分の過ちを認めることが出来ない。
政治とは人を動かすことだ。人は理屈だけでは動かない。高い理想を掲げても、それだけでは人は付いてこない。勉強が良くお出来になる政治家や官僚によくある勘違いである。人は口先だけでは動かない。
理想を語る人ではなく、理想を体現できる人にこそ人々は引き付けられる。
あまり語られることは少ないが、リーダーシップは学校教育では身に付かない。これは教わって覚えるのではなく、天与の才である。誰もが有する才能ではなく、一部の限られた者だけが有する才能である。
だから学校教育ではリーダーシップは教えないし、教えることも出来ない。その代わり組織の管理者を育成することで代替する。学校の勉強が良く出来れば、組織の中で管理者となることが出来る。これは現代はもとより古代においても同様であった。
例外は戦乱の時代である。戦いを生き抜くのは、組織の管理者ではなく、集団を引き付けるリーダーシップを有する指導者だ。実力主義の戦場にあっては名門の家名も、華美な鎧兜も必要ではない。過酷な戦場を戦い抜ける指導者こそが求められる。
だが戦いを終えて、平和な世になると必要になるのは組織の管理者だ。その意味で、日本の学校教育は組織管理者の育成に向いたものだ。これは、これで間違いではない。しかし、問題はあっても答えはない現実社会に対応するのが政治だ。
学校の勉強がよく出来る人は平時ならば、そこそこ良質な政治家になれる。しかし変化する時代に現実が十分に対応できていない時には、むしろ改革を妨げる邪魔者となる。現状こそを正しいと規定して仕事をする行政ならば、それでいい。
しかし、行政が現実に十分対応できていない時にこそ柔軟な思考を持つ政治家が求められる。民主主義社会での議会政治は、多数決原理で物事が決まる。つまり多くの有権者が引き付けられる政治家こそが、最適解を有するとみなす。
いくら勉強が出来ても、リーダーシップのない政治家には変革が出来ない。現・首相がその典型なのだが、野党にもこのタイプが多い。繰り返しますが、どんな美辞麗句で飾ろうと理想を体現できない政治家に有権者は惹かれませんよ。