ヌマンタの書斎

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旭川市 いじめ再調査委員会発表

2024-09-25 08:37:33 | 社会・政治・一般
まだ終わっちゃいない、終わらしてはいけない。
 
旭川市の虐め死事件で、ようやく再調査委員会が7件のいじめを認定した。もう過去のことだと忘れたい方もいるだろう。それだけ陰惨な事件であった。
 
だが、勘違いしてはいけない。これは終わりではなく、始まりでなければならない。そもそも子供を死に追いやるような残酷な所業を「いじめ」なんて軽い言葉で報じるべきではない。
 
では何故に「いじめ」などと評して印象を軽くしようとするかといえば、一つには子供を守るという名目で、問題が教職員の人事考課に悪影響を及ぼさないようにすることを第一に考える役人独特の減点考課システムがある。
 
かつての同僚や若い教職員の未来を考えて、極力問題を大きくしないための方便が「いじめ」という用語である。あくまで学校内での子供同士のトラブルに過ぎないとして、外部の一般常識で判断されることを避けようとしてきたのが日本の教育界である。
 
学校を管理する校長や教頭も所詮は、教職員組織の歯車に過ぎず、教育委員会に至っては「教職員保護委員会」に過ぎない。本来ならば対立する立場の教職員組合でさえ、組合員の雇用確保が第一であり、いじめ問題の隠蔽に協力していた共犯者に過ぎない。
 
いじめなどという軽い言葉で誤魔化すべきではない。あれは児童による児童虐待行為であり、犯罪行為とされるべきものだ。
 
こんな時、必ずしゃしゃり出てくるのが、加害者の人権を擁護したがる司法関係者だ。いじめを看過した教職員の未来を憂い、まだ判断力が幼い子供たちの未来を憂えて、いじめの加害者を擁護し、隠蔽し、自身の善人ぶりをアピールしたがる方々である。
 
では、被害者であり、死に追いやられた子供の人権はどうなる。死んだ後にさえ侮辱される境遇におかれる悲劇をどう考えるのか。
 
そして敢えて書こう。いじめで子供を死に追いやった虐めっ子たちは、上手く立ち回れば「いじめによる死」という犯罪行為すら免れられると学習し、成長して大人になっても平然と犯罪行為を犯す。
 
女子高生コンクリート殺人事件の加害者たちのその後を調べれば実感できるはず。加害者の親が共産党の関係者だったせいか、新聞TVは積極的に報じたがらないが、加害者は大人になっても犯罪行為を繰り返している。未成年を理由に甘い処分で誤魔化したツケは、無辜の民を傷つける。
 
大津や山形など表沙汰になったいじめによる死亡事件では、被害者の親族は未だに苦しんでいる。
 
実は知能の高い哺乳類で社会性の強いチンパンジーやイルカは、いじめをすることで知られている。おそらく人間も如何に法改正しても、いじめは決してなくならないと思う。だが減らすことは出来るはず。人を死に追いやるような輩へ甘い処分をしても、決して改善されない事実を認める勇気はあるのか。
 
これまで加害者の人権を盾にいじめ事件の隠蔽などに関与してきた人権派のお方々は、よくよく考えて欲しいものだ。

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