ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

土に還る

2017-09-14 06:58:00 | 日記

せめて土の上で死なせてあげたいな。

やたら、雨の多かった8月も終わり、まだ残暑は残るものの、既に秋の兆しが感じられる今日この頃である。

私の住まいのあたりは、木々が多く、夏になるとセミの鳴き声が喧しい。困ったことに、夜になっても、灯りの灯った共用廊下などで、夜更けまで鳴いている。正直、ちょっと迷惑に思う。

だが、9月に入ると、セミの亡骸が共用廊下に落ちていることがよくある。そんな時、私は亡骸を拾い上げて、植栽されている共用の庭に放り投げておく。

セミは数年間、地中で暮らし、最後の数週間を地上で過ごす。生涯の全てを賭けて、地上に上がり孵化して、樹液をすすりながら鳴き声を上げる。あまりの喧しさに悲壮感は乏しいが、それでも夏の終わりに見かけるセミの亡骸には、生涯の最後を力強く生きた生き様を感じることがある。

なればこそ、その亡骸は土の上に置かれるべきだ。アリなどに食われるかして、その亡骸はあっというまに姿を消す。だが、その亡骸は次の世代を育む滋養となって、土に浸み込んでいるものだと私は信じている。

だから、コンクリの床の上に転がるセミの亡骸を放置することは出来ない。

セミを煩いと思う人もいるだろうけど、私はセミの鳴き声のしない夏は、寂しくてやり切れない。これまでの半生で一度だけ、セミの鳴き声を、ほとんど聞かずに終えた夏がある。

難病で、ずっと大学病院の病棟で過ごした夏。あれは、わびしくて、つまらなくって、哀しい夏であった。もう、あんな夏は経験したくないな。


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2 コメント

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Unknown (ヌマンタ)
2017-09-15 13:03:35
青蛙堂さん、こんにちは。私は子供の頃から、夏の終わりには感傷的になる性質です。あぁ~、もう夏休みが終わってします。いかないで、夏休み~とセンチメンタルな気分に陥る子供でした。セミの亡骸は、その象徴でもありますね。多分、四季の終わりが一番辛いのが夏であったと思います。
なお、身体というか病気に関しては、成るようなると達観しています。もちろん、出来る努力は惜しみませんけど、生にしがみ付くほど執着もありません。いずれ、私も土に還るのですから。
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Unknown (青蛙堂)
2017-09-15 03:39:28
それは感傷でしょう。失礼ながら。
死んだ後の死体は脱け殻。腐ろうと捨てられようと、本人は何も困りません。
俺はクリスチャンだからデスはデス。死んだ後の死体をドブに捨てようが、食べようが、内蔵を抜こうが勝手にしてくれと思ってます。
実はヌマンタさん程の大病ではないが、私も医者と話してプータローになりました。肥満と体内時計の失調で、このままだと数年で働けなくなるから。まぁ往診は患者がいるので続けてますけど。
毎日、60㎞を自転車こいで、一時間の水泳にスロージョギング。ダイエット離職…笑うかも知れませんが、当人は必死です。
ヌマンタさん、弱気になってはダメです!
俺は共同経営者が店を維持してくれるし、もともと往診主体だから…って恵まれた環境にはある。
ヌマンタさん程に重圧には晒されてない!
それを承知で言います。弱気になったらダメです。感傷に浸るならば体の快復に全力を尽くしてください。
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