闇が濃い夜の森で、なにかに追われているような感覚に陥ったことがある。
足音は自分だけだし、ライトを周囲に巡らしてもただ濃い森の影が映るだけ。再び歩き出すと、やはり何かが付いてくる気がしてならない。
こんな場合、まず第一にやるべきことは落ち着くことだ。まず足場が安定し、見渡しが良く、落ち着ける場所を探す。そして冷静に身の回りから確かめる。
原因が判明した。サブザックを降ろしてみると、チャックが半開きでそこからビニールロープが垂れ下がっていた。これが地面に擦れて微かな物音を立てていたのだろう。
ちなみにこのビニールロープは幕営地で濡れた衣類を干す時に使っていたやつだ。とても軽いので、引き摺っていることにさえ気が付かなかった。
怪しい気配なんて、せいぜいこの程度のものだ。ただ、怯えた心が怪しい幻想を抱かせただけなのだろう。
私は世に数多溢れる怪談、奇談の類は、このような他愛無い誤解、勘違いから生まれたのだろうと思う。
だが、誰もが、同じ場所で同じような誤解、勘違いをすれば、それは立派な怪奇現象となりうる。人々の想いが幻想に実体を与えることもあるのではないかと思うこともある。つまり共有された幻想は現実に転化する。
一例を挙げれば、菅原道真の祟りなんかはその典型だと思う。今も昔も人々に害をなす病害、天災、不慮の死はなくなることはない。偶々、道真を追いやった藤原一族が相次いで病死、事故死などの不幸に見舞われれば、それは道真の祟りとして共有幻想から現実へと容易に転化する。
言い換えれば、人々の思い込みが道真公の祟りを作り上げた。雷の稲光は道真公の怒りだし、不慮の事故死だって道真公の祟りの証しになる。大切なのは、人々がそのように思い込むことだ。すなわち思い込みは証明されて迫真の事実となる。
おそらく世に云う怪奇現象の多くは、このような人の無意識の思い込みが作り出した共同幻想なのだと思う。すなわち一人の嘘は幻だが、1000人の嘘なら真実となりうる。
だとしてもだ、私が夜の闇のなかで怯えたのは事実だ。正体が分かった時は、思わず脱力し自らの怯懦に赤面するほどであったが、あの怯え自体に嘘はない。正体が分かるまでは、間違いなく私は物の怪を疑っていた。
その怯えは私自身の心が産みだしたもの。その時は私一人であったが、同じ怯えを共有する人たちがいれば、あの森には新たな怪奇譚の舞台となっていたかもしれない。
だからこそ怪談や伝奇は面白い。私が二十代の頃、突如文壇に現れて怪奇譚の語り部として人気を博したのが夢枕獏だ。なかでも陰陽師という平安時代の呪術師を題材に幾つもの作品を書き、TVドラマや映画化させたのでご存知の方も多いと思う。この夢枕獏氏の作品あってこそ、今日の安陪晴明人気があると断言できるぐらいだ。
だが、陰陽師が登場する以前、闇狩り師(祟られ屋)として登場した九十九乱蔵こそが、この手の伝奇ものの先駆者であり、今日の陰陽師ブームの先駆けであった。身長2メートル、体重145キロの巨体で、筋肉質というよりも肉厚の巨体で、仙道と拳法をつかう謎の大男。足、腕、首とすべてがぶっとく、強面ながら妙に愛嬌がある巨人。そして肩に猫又を乗せて怪奇事件に乗り出す現代版陰陽師、それが九十九乱蔵であった。
実に魅力的なキャラクターで、当時長きにわたり病気療養中であった私の無聊を慰めてくれた作品でもある。ところがだ、この夢枕氏、いささか風呂敷を広げ過ぎた。キマイラ・シリーズや飢狼伝、サイコダイバー・シリーズなどの長編を幾つも抱え過ぎ、なかなか続編が出ない困った作家でもある。
ジャンルは違うが田中芳樹と同じで、読者をやきもきさせる問題作家の両横綱でもある。新しい作品を書くのは良いが、まずは現在書いているシリーズを完結させるのが、作家としての責務であろうと憤慨した読者は少なくないはずだ。
この闇狩り師シリーズも長い事、ほったらかしにされていたのだが、久々に単行本が刊行された。もちろん飛び喜んで買い込み、帰りの電車内であっというまに読み切ってしまった。懐かしくもあり、また30年前と同じく面白くもあり、大満足である。
た・だ・し、問題はある。果たして続編は何時書かれるのか?あれから3年以上たったが、未だ刊行されていない。伝奇もので知られた夢枕獏だが、格闘もの、将棋もの、釣りものと新たに手を出した分野は増えるばかり。
腹がたつことに、どれも結構面白いのだ。しかも読むと、続編が読みたくなるものばかり。これじゃ、まるで性質の悪いホステスにひっかかったアホな客と同じではないか。
騙されたほうが悪いと思いつつ、もっと面白く、もっと楽しく騙されるなら本望と思ている自分がいる。これじゃ、鴨がネギ背負って、タレまで抱えているようなものではないか。
多少の自己嫌悪を抱えつつ、早く続編出ろと願っています。哀れな本読みの性だと諦めてもいるのですがね。
そうそう夢枕獏もシリーズ放置が多いですね。
しかし、田中芳樹より許せる感があるのは何故でしょうか?
ちなみに、菊地秀行も放置作家ですよね。
菊池秀行に関しては描写力を磨くか、ストーリーにより力を入れるかしないと、読む気になれなくなっています。才能はあると思うのですがねぇ。