どちらかといえば、過去に囚われるのは男の方が多い気がする。
私は過去を悔いるのが嫌いな性分で、過去の失態、醜態を可能な限り忘れるようにしていた。幸か不幸か、私の人生は毀誉褒貶が激しく、いちいち過去を悔いている暇はなかった。いや、現在の悩み、未来への不安が大きすぎて過去を省みる余裕がなかったのが実態に近い。
で、人生の終盤に入り、多少余裕も出てきた今頃になって何故に貴女は私の夢に出てくる。私としては忘れたはずの記憶であり、思い出す動機もない。なのに夢に出てきて話しかけてくる、あの得意な科白で。
「うぅ~ん、いいじゃない」
甘えているのか、それにしては強引なあの科白で私を振り回した。不快になるには心地よすぎる甘い科白であり、怒るほどにはなれない程度の強引さ。まだ十代前半の未熟な私はどれほど困惑したことか。今だから分かるが、私が従うことを確信している科白だった。
で、私は不満と微かな甘い予感を伴った奇妙な気持ちで、貴女の意向に従っていた。だから完全に関係が途切れた時、奇妙なほどに安堵感を抱いた。これで新しい人生に踏み出せると。
もう忘れていたのだ。それなのに還暦過ぎて何故に思い出すのか。私は自分が分からない。
昔、ある女性歌手が「女はみんな、さよなら上手」と歌っていたが、そうなのだろうと思う。それに比べて男どもの未練がましいこと甚だし。未練なんてないつもりだったのだが、心の奥底に沈殿していたのだろうか。
そんな微妙な気持ちにさせられたのが表題の短編です。長編に秀作の多い横山秀夫ですが、この短編集はなかなかに珠玉の作品集だと思いましたよ。機会がありましたら是非どうぞ。
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