教育と学問は違う。
特に歴史教育は、学問的見地よりも教育に重点を置くべきだと思う。
日本の歴史教科書には問題が多い。一番問題なのは、歴史を科学に仕立て上げたマルクス史観の影響が今も濃厚であることだ。
歴史は科学ではない。歴史とは、その国の生い立ちであり、人間ドラマである。教育の目的は、子供たちを良き日本人とすることにある。つまり、この国の歴史について理解し、誇りを持てるようにすることだ。
ところがマルクス史観に染まった人は、過去を否定して、あるべき未来(共産主義による統治)を輝かしいものに見せるための道具として歴史を使う。そのために科学的化粧を施す。
すなわち年号を事実の羅列である。これが如何にツマラナイものであったかは、日本人に少なからず歴史嫌いがいることからも分る。
このマルクス史観で歴史を学ばされた人の、日本の歴史観は恐ろしく薄っぺらい。
「なぜ、日本は天皇制を維持できたのか」
「なぜ、王でもなく、帝王でもなく、天皇という呼称を用いているのか」
「なぜ、日本人は綺麗好きで、清潔な暮らしを好むのか」
外国からみて不思議と思われるこれらの質問に答えられますか?率直にいって、教科書でしか日本の歴史を学んでいない人には答えられないと思います。
それが日本の歴史教科書なのです。
表題の書は、高校生で日本史を学んだ人にとって、最も優秀だとされた教科書を大人になってもう一度読んでみることを企画したものです。
よく整理され、秩序だって書かれた歴史であり、私もすべてを否定する気持ちはありません。でも断言しますけど、この教科書を読んで、日本人としての誇りや、日本の伝統、その気質などを学びとれるとは思えません。
現在の日本には、日本の歴史のなかでも否定的というか悪い面を教えることが、日本を平和にすることだと思い込んでいる偏執的な人たちが少なからずいます。意識して反日教育をする人もいれば、無意識な人たちもいます。
ですが、多くの歴史学者はそのような反日自虐的な人たちと正面から対決することを避け、科学的歴史観に沿った歴史教育に逃げている。なぜ自国の歴史を否定的に見るのか?
真の歴史教育とは、自国の歴史に誇りを抱くようなものであるべきです。私も実例を知っているのですが、ある家庭では母親が「父親のようなダメな人間になるんじゃないよ」と子供を叱って育てていました。その子供は大人になると、老いた母親を虐待するようになりました。よくある話です。自業自得だと思います。
学問として日本の歴史の暗い部分を学ぶことは必要ですが、教育ではそれは避けるべき。そのような学問的歴史探求は、ある程度精神が成熟した大学以降で十分です。
山川の歴史教科書は、決して反日自虐を目指したものではありませんが、歴史教育のための教科書としては不十分。私はそう判断しております。
kinkachoの世界史の高校教科書は山川ではなかったような...で、受験対策にわざわざ買った記憶があります。それからして、高校までの歴史は流れを体系的に捉えておけばよいかと思っていました。
まあ大学で史学を専攻した身としては、史料からして勝者の歴史なので、信用してはいけない。いかに自分の史観を確立するかが問題だったと思います。
歴史に客観的事実無しです。