論破することに何の意味があるのだろうか。
多分、ネット上の掲示板2チャンネルの創設者である西村氏が多用しているからだろうが、しばしばこの論破という言葉をみかける。
断片的というか切り取り的な言い様で申し訳ないが、私はこの論破という言葉にあまり意義を見出せずにいる。おそらく相手の言い分を封じ込めたという自己満足程度しか意義がないように思うからだ。
議論を戦わせること自体は否定しない。でも議論は手段であって、議論そのものは目的ではあるまい。たとえ相手の主張を論破したところで、相手から私怨を抱かれて、本来の目的を失したのならば、無意味というよりも失策となることだってあるだろう。
私は税理士という仕事柄、税務署の調査官とこれまでかなりの議論を戦わせてきた。だが私の目的は国税調査官の主張を論破することではない。税務調査を円滑に終わらせることが目的である。
相手の主張の論理的破綻を指摘して、議論を有利に進めることもある。でも私はこのやり方は積極的には使わない。経験の浅い調査官にもプライドはある。若いと論理的正しさに固執して、その破綻を指摘されると逆切れする人は珍しくない。
私の目的は国税調査官をとっちめることではない。むしろ税制のグレーゾーンと現実との矛盾、乖離に対して共通の理解が欲しい。納得してもらった上で、申告是認を勝ち取りたい。相手のプライドを貶める必要はない。ただ一定の共感が欲しい。
実のところ、若い頃は幾度となく国税調査官を論破している。白状すると、上手いやり方ではなかったと少し後悔している。後悔した最大の理由は顧客を苦しめてしまったことだ。
私は仕事なので、別に国税調査の実地立会いは苦ではない。しかし事業を行っている顧客は違う。職場に税務署の人間が日中居ついていること自体、相当な苦痛だったのだと、後日聞かされて反省した。
師匠のS先生は国税調査の解決に時間をかけるのが当たり前の人だったので、私もそれが普通だと思い込んでいた。時間をかけて、税務署が折れることで追徴税額をゼロにすれば良い、そう思っていた。
でも、それでは十分ではなかった。顧客の苦悩に気を配るべきであった。以来、私はバランスを取りながら税務調査の仕事に対応するようにしている。税務署の主張を論破するのではなく、顧客の満足度にも配慮し、なおかつ円滑に終わらせる。
論破することは目的ではなく、結果を出すことが目的だ。これには100%の解答はない。だが、論破するよりも遥かに難しく、かつ成功すれば満足度の高いものだと思っています。
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