ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「ダーリンは外国人」 小栗左多里

2008-01-24 16:37:53 | 
未だに外国の人、とりわけ欧米の人は日本人の妻が、従順に夫に付き従うと思っているのだろうか。

私の知る範囲では、夫は「そんなわきゃ、ねえだろう!」と怒鳴って、それから周囲を見回して「かみさんには内緒ね」と小声で囁くかもしれない。

妻は・・・「うふふっ」と穏やかに微笑み、その後で夫を冷ややかにみるかもしれない。(あぁ怖い)

そりゃ、新聞などで報じられているように暴力夫に怯える従順(?)な妻もいるだろうし、亭主関白気取りの夫もいるだろうと思う。思うが、日本人女性の演じる従順な妻って、私にはそこはかとなく違和感がある。

誰とは言わないが、従順な素振りで巧妙に夫を自分の思うとおりに躾ける妻の姿に唖然としたこと、ままあり。夫をたてているようで、下から操るような感じがあり、どこが亭主関白だとつっこみたくなった。(もちろん黙ってます)

根本的な認識だが、そもそも同等な関係というものは極めて難しいと思う。夫婦に限らないが、人間二人が共同生活を営めば、そこには必ず主導権争いが起こる。

多くの場合、経済力を持つほうが主導権を握ることが多い。欧米の場合かつては、稼ぎのある夫が家計を握ることが多く、家庭での妻は文字通り夫に養われるかたちとなる。逆説的な見方だが、だからこそレディファーストなんて概念が生まれたのだと思う。要するに形式は優先させても、実質は握らせてもらう代償行為に思える。

ところが日本では、稼ぐのは夫でも家計を管理するのは妻という分業が慣習化していた。これは明治時代どころか、江戸時代以前から続くものだ。

かつて、ウーマン・リブ運動が盛んであった頃、日本の女性地位向上に燃える活動家たちが、欧米のウーマン・リブ運動と連帯しようと試みた。しかし、家計の財布を握る日本の主婦たちと、夫からの小遣いしか貰えぬ欧米の主婦とでは、連携など到底望めなかったのは、ある意味当然だと思う。

現在では女性の社会進出が進み、自前の収入を持つが故に、自立傾向の強い妻がかなりの割合を占めるようになり、ある意味対等な家庭が築かれるようになった。それどころか、産業構造の変化から、男女差を問わない仕事(ソフト産業等)が増え、妻のほうが稼ぎが良い場合も少なくなくなった。そうなると、夫は主夫の立場となることも珍しくない。

こうなってくると、夫婦の関係も伝統的な価値観から離れたものにならざる得ない。私の周囲でも、妻も夫もそれぞれの生活範囲を持ち、お互いの共通の場が家庭であることに過ぎないケースが増えてきた。もちろん、従来の伝統的家庭もあるし、そうあらんと努力している連中も少なくない。

しかし、子供が減っているせいか、夫婦の関係を第一にした家庭が増えていると思う。私は家庭を持つ気がないので、そもそも理想的な家庭とか、夫婦とかにあまり関心がなかった。それでも、現在の多様化した夫婦のあり方には驚かざる得ない。

日本に滞在する外国人が増えている以上、表題の本のようなカップルが誕生するのも必然だと思う。かつて、日本人女性を妻にむかい入れた欧米人は、日本人妻に従順な家庭人を期待するむきが多かったと思う。

しかし、時代は変わった。この小栗夫婦のような形があっても、なんら不思議じゃないし、違和感もない。ただ、傍で見ていると面白いというか、興味深いのは事実。

それぞれ別個の人生を送ってきた人間同士が、共同生活を営む以上、お互いの共通する部分を大事にする一方で、異なる部分を尊重しあうことが大事なのだろう。多分、日本人同士でも同じだと思うが、甘えがあるのか、むしろ日本人同士のほうが、ないがしろにしていること多くないか?

評判よく、続刊も出ているこの本だが、まさか「国際結婚」という言葉が英語にないとは驚いた。驚きは尽きないものだね。
コメント (2)
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