ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「あかひげ診療譚」 山本周五郎

2008-01-28 12:25:41 | 
冬の光景は暖かい、と書いたら驚かれると思う。でも本当の話。

寒の入りを過ぎたこの時分は、冷え込みが一年で一番厳しい。なによりも空気が冷たい。私は基本的に寒いのが嫌いだ。だから、学生の時分この時期に山に登るとしたら、標高1000メートル程度の里山を好んでいた。

ただ、ひねくれていたので、有名な山には行かない。わざわざマイナーな藪山を探し出して登っていた。関東近辺だと、神奈川や静岡がいい。標高が低いので、夏に登るのは暑過ぎて楽しくない。春や秋はハイカーが多くて、興がそがれる。だから、冬がいい。雪が積もることは、滅多にないから装備も軽い。人が少ないので、静かな山の光景をじっくり楽しめる。

登山口から2時間も登れば、もう稜線に辿り着く。空は濃いほどに蒼く、日差しは柔らかい。空気が冷たいので、気温は低いが風がなければ、乾燥している分快適さを感じる。

草木は既に枯れ果て、葉を落とした潅木の他は、一面黄色い草原となる。この色合いが実に心温まる安らぎを与えてくれる。春になれば、一面緑が萌え拡がるはずだが、この季節は静かに眠っている。この穏やかさが心地よい暖かさを感じさせるのだろう。私はこの光景が、とても好きだった。春を待つ草木の静かな眠りに、込められた穏やかな希望を感じて、自然と心安らぐのが好きだった。

やがて夕刻が近づくと、黄色の山々は、夕日に染め上げられ、あっというまに濃い闇に包まれる。夜空に星が冷たく瞬き、眼下を見下ろせば、麓の人家が明かりをともし人々の暮らしを教えてくれる。既に大気は冷たく、暖かいテントに誘われるが、しばし、この光景を瞼に留めたい。

冬はたしかに寒い。寒いからこそ、暖かさのありがたみがよく分る。これがアルプス級の高山だと、こんな悠長なことは言っていられない。ほんの数時間で人間社会に戻れる距離の里山だからこそ感じられる感慨なのだ。

表題の本を読み返すと、私は冬の里山の光景を思い出す。

江戸時代の医療技術では、本当の意味での治療なぞできるはずがない。病魔は圧倒的な強さで、人々の命を奪っていく。それに逆らうことは誰にも出来ない。それでも人々は医者を求める。無駄と分っていても、救いを求めずにはいられない。

医は仁術だという。きっと赤ひげ先生は、冬の里山の光景のような暖かさだったのだと思う。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする