ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「初秋」 ロバート・B・パーカー

2008-01-07 09:22:22 | 
父親は母親にはなれないし、母親は父親にはなれない。

私は母子家庭で育った。母は父親役をもこなそうと奮闘していたが、子供心にも無理だと感じていた。途中で諦めたようだが、それは父の帰国以降だったと思う。

父親の学費援助がなければ、私は大学はおろか高校さえ行けなかった。その意味で父親には感謝している。しかし、一緒に暮らしていたこともないため、理想の父親像というものが分らない。父とは今もたまに会って食事することがあるが、私の父親だけあって不器用な人だと思う。

私に話す内容も、父が息子に話すというより、上司が部下に話して聞かせる内容になっている。このスタイルのほうが話しやすいらしい。まあ、私も今更親父面して説教されるのもウンザリなので、話を聞くのも親孝行と思い我慢している。ただ、なんとはなしに世間一般の父親と息子の会話とは違うのだろうと感じている。

以前は自分にも子供が出来れば、自然と父親役というものが理解できるのだろうと、漠然と考えていた。しかし、元々結婚願望が薄く、一人暮らしに馴れ過ぎ、今更他人との共同生活が出来るか不安に思っている。このままでイイやとも思っている。どうせ長生きできないしね。

こんな私でも父親のいない家庭の子供に逢うと、少々複雑な気持ちになる。昨年夏、誘われて東京郊外のプールに行った。十年以上前新宿でホステスをしていたフィリピーナが子供を連れて日本に遊びにきたので、その親戚と共に同行した。日本人との国際結婚が多いのは知っていたが、旦那さん(日本人)に率いられた数組の家族と一緒だったので、実に賑やかな一行となった。

旦那さんたちに話を聞くと、いろいろ苦労しているようだ。日本人同士でも大変なのだから、外国の人と家庭を作るのは、さぞや大変だと思うが、沢山の子供たちに囲まれ楽しそうだった。そんななか、夫のいない母子も居た。父親と楽しそうに遊ぶ他の子供たちを見る姿が寂しげで、必然的に私が遊び相手になった。

日頃、子供とは付き合いがないので、少々戸惑ったが、白状すると楽しい時間でもあった。短い時間ではあったが、父親役を務めるのは、なかなかに新鮮な感覚で悪くはなかった。もっとも短時間だからこそで、実際にはいろいろ苦労するのだろうとも思った。母親からは、えらく感謝され悪い気分ではないが、別れ際の子供たちの表情を見ていると、複雑な気分になった。

やはり子供には、父親と母親の両方が必要だと思う。家庭を持つ気がない私が言うのは、不謹慎だとは思うが、自身の経験からいってもそう思う。

ハードボイルド探偵の代表的存在でもある表題の作の主人公スペンサーも、やはり私のような気分に陥ったのだろう。父親役に勤しむスペンサーの姿に、妙に複雑な気分に陥りました。わりとお喋りでおせっかい焼きのスペンサーですが、父親役も意外とはまっていて感心しました。もっとも、私が一番共感したのは、それでも家庭を持つ気がないスペンサーの頑固ぶりですがね。
コメント (4)
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