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ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ドラキュラ伯爵 N・ストイチェスク

2011-06-30 12:16:00 | 

もし、仮にだ。私が死んだ後にある作家が悪意をもって「恐怖の悪霊ヌマンタ」なんて本を書かれたら困るな。

なにせ、この悪霊は性質が悪い。平和を愛する善良な市民の耳元で「憲法9条なんて役に立たないぞ」なんて酷い科白を囁いて、心の平安を妨げる。

きっと、この悪霊は心の拗けた、荒んだ性根の持ち主に違いない。裏で後ろめたいことをやっているような輩こそ、殊更偉ぶるものだ。

そうだ、きっとそうに違いない。だからこそ、私のような平和を愛する善良な市民が嫌いなんだ。よう~し、どうせ死人に口なしだ。私がヌマンタの悪事を暴き出し、世にさらしてやる。

どんな奴だって、多少の欠点や失敗はあるものだ。その点を芸術的に誇張して、恐怖の悪霊を作り上げてやる。そのほうが世間の評判にもなりやすいしね。

かくして恐怖の悪霊ヌマンタは、22世紀の未来において、子供たちから恐れられる悪辣非道な怪物として暗躍するようになる。

冗談ではないと思うが、自分の死後になってからのことなんて、自分ではどうしようもない。化けて出ても手遅れというか、むしろ逆効果かもしれない。

実際にこのような目にあったのが、15世紀のバルカン半島、ワラキア地方の領主であった、ヴラッド・ツッペシュである。この名前を知らなくても無理はない。しかし、今日では世界的な有名人である。

なぜなら、ブラム・ストーカーの古典的ホラーの名作「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとされた人物であるからだ。もちろん、実際のヴラッド・ツッペシュは、人の血を吸ったりはしていない。

だが、多くの血を流した強圧的な領主であったことは確かだ。なにせ攻め入ってきたトルコ軍を撃退したのはともかく、その捕虜2万人あまりを串刺し刑に処し、街道沿いに並べておいた。それを見たトルコ兵が恐怖することを期待しての蛮行である。

これでは、吸血鬼のモデルとされたのは仕方ないと、私も表題の本を読むまで思っていた。この本は、ワラキア公ヴラッドに対する正当な評価を求めたルーマニアの歴史家の手により書かれている。

だから必然的にワラキア公を擁護する内容になっているが、その点を勘案しても、やはり吸血鬼ドラキュラのモデルとされたのは気の毒としか言いようがない。

なにせ時は15世紀。東ローマ帝国を滅ぼし、破竹の勢いでヨーロッパへの野心を隠そうとしないオスマン・トルコ帝国の前に立ち塞がったのが、ワラキア公ヴラッドだ。

進軍してきたマホメット2世を撃退し、トルコ兵へ恐怖を刻むため捕虜2万人を串刺しにして街道沿いに並べてみせた。それゆえに串刺し公との異名をとったが、実はこの串刺し刑自体は、当時のヨーロッパでは一般的なもので、別にワラキア公が先駆者でもなく、ただ規模が大きかっただけだ。

事実、トルコを撃退せしめたことで、ローマ教皇をはじめとして当時のヨーロッパの各国から英雄と奉られたのが実態だろう。実際、果断にして武勇に富み、謀略奇策に富んだワラキア公の活躍あってこそのトルコ撃退であった。

しかし、ワラキア公には敵が多かった。同じルーマニアのトランシルバニア地方とモルドバ地方の領主たちとは、時には手を取り合い、裏では敵対することも珍しくない。なによりもワラキアに多数存在した地方領主たちこそが、ヴラッドの最大の味方であると同時に、最悪の敵でもあった。

ヴラッドは、内外の敵に足元を救われる不安定な地位の地方領主に過ぎなかった。ただ、その思想は先鋭的で、国家の絶対権力の確立に努め、軍や法令の整備に勤しんだ改革的な政治家でもあった。

それだけに敵が多かった。本来味方であるはずの隣国ハンガリーの公認を得て、ワラキア公の地位を獲得したものの、その武勇を浮黷驛nンガリー王家により捕縛されて虜囚の憂き目に遭う。

しかし、再び襲ってきたトルコ軍に対峙するために釈放されて故国に戻る。その戦いの最中、おそらくは味方であるはずの地方領主たちの策謀にあって生涯を終えた悲劇の人でもある。

ワラキア公ヴラッドが、串刺し公として悪名を宣伝され、やがて吸血鬼ドラキュラのモデルとされたのは、ヴラッドの評価を貶めたいハンガリー王国の情報操作である可能性は高い。

そのあたりの指摘は、断片的な物証しかなく、著者の思い入れ(極力中立的な内容にしようと務めてはいる)によるものかもしれず、私には判断しかねる。これは、私が当時の東欧の政治状況に詳しくないからで、複雑怪奇なバルカン半島の歴史をもう少し学ばねば、適切には判断できないと思う。

いずれにせよ、吸血鬼ドラキュラのモデルとされてしまったのは、いささか不遇に過ぎる。やはり著者の言うように再評価が必要な人であるのは、間違いないと思いますね。

コメント (4)
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