私がこうして毎日のようにブログの記事を書けるのは、若い頃の読書のおかげだと思う。
中学生の頃に夢中になって文庫本を読み漁っていたことが、始まりだった。高校、大学では普通の読書好きに過ぎなかった。しかし、社会人になり身体を壊して長期の療養生活の時の読書こそが、今の土台になっている。
原因も治療法も確定していない難病である。未来に希望なんぞ持てず、明日を夢見ることさえ虚しさを感じる無為の日々。その苦しみから逃れるための読書であった。
書に埋もれ、活字の世界に心を没することで、日々の苦悩から逃げていた。それは情けなく、みっともなく、惨めな現実からの逃避である。
なにもしないでいると、脳裏に浮かぶのは病気のことばかり。この苦しみから逃れられるのなら、私は藁にすがるどころか、犬の糞にさえしがみついたであろう。
ただ、私の周囲には藁も犬の糞もなく、あるのは本だけだった。私は読書の世界にのめり込む幸せを知っている人間であった。本は、私を見知らぬ世界に導き、まだ見ぬ世界に私を連れ立ってくれる魔法の門であった。
幸か不幸か、私には考える時間が有り余るほどあった。動くことが辛かったので、寝転んで考える時間が腐るほどあった。病気のことを考えないようにするため、意識して読んだ本について考えることを自らに強要した。
その結果が、過去の知識の見直しにつながった。私が学校で教わったことは正しかったのか?いつのまにやら常識として身につけていたことは、現実社会と照らし合わせてみて、おかしくはないか?
私が十代の頃、当然だと考えていたマルクス史観に染まった歪んだ歴史観の異常さに、二十台後半でようやく気がついた。ベルリンの壁の崩壊以降、社会主義の幻影が失せて、惨めな現実を世界が知ってしまった以上、それは必然でもあったが、この頃の読書と思索がなかったら、なかなかに脱却出来なかったと思う。
多様な価値観を知ることで、真実が一面の事実を表わしているだけだと知った。新聞やTVなどのマスメディアが報じる真実も、同様に一部の事実だけを報じたものに過ぎないと分った。
本から得た知識と、自分が現実に見聞きした事実とを照らし合わせて、自分なりの価値観で判断することの大切だと言えるようになったのは、この読書に埋没した日々があったからこそだと思う。
表題の書は、相場師としてしられていた是川銀蔵氏が、自ら手にとって記した自伝である。自伝というものは、本人しか知りえぬことが述べられているだけに、実に興味深い。
もっとも人間って奴は、本当に嫌なこと、知られたくないことは書かないものなので、その点は割り引いて読む必要がある。
私が驚いたのは、是川氏が驚くほど勉強家であることだ。そのほとんどが独学であり、図書館にこもっての読書により膨大な知識を得て、それを実務に活かしている。
それは投資だけでなく、鉱山開発や農業など是川氏本人が実際に経営に携わった分野で活かされている。是川氏は、この経験から、一般的な常識や風潮に流されず、自分で調べ、自分でやってみて、自分なりの考えて物事を進めることで成功してきた。
その膨大な経験から、他人の情報に踊らされての株式投資を諌め、あくまで自分の判断と決断で行うべしと断言する。そして、その判断をもってしても欲に溺れて大損したことを悔やむ。
私はこの書を読むまで、是川氏を株式相場にのみ生きた人だと思い込んでいたが、実際に多くの事業経営を為し、その経験を活かした上で、株式投資に打ち込んでいたと知り、非常に驚いた。
もう一つ、大いに驚かされたのは、この方、法令順守の気持ちが薄いことだ。ビックリするくらい明け透けに脱法、脱税を述べている。戦争や騒乱の最中を生きた人だけに、法令を守って大切なものを失くす愚かさが身にしみているのは分るが、それを平時にまで持ち込むあたりは感心できない。
たしかに社会の実情に合わぬ制度、法令などを頑なに守ることは愚かだと思うが、これはやり過ぎ。若い頃は、晩年に政治家を目指す志をもっていたようだが、その志を何時断念したのかが書かれていなかったのが残念。
自伝の限界を知った上で読むには、大変面白いものだと思うので、機会がありましたら是非どうぞ。