分りたくはなかったな。
実は初読のつもりで読み出したのだが、途中から読んだことがあることに気がついた。多分、中学生の頃、図書室で本を読み漁っていたころだと思う。
あの頃は、性に関する意識が乏しく、この作品などまるで理解できなかった。いくら裸体の美少女でも、添い寝するだけでなにが面白い?中坊の私には、まるで理解できず、印象に残らなかったのも無理ないと思う。
だが、中年と呼ばれる年代となり、性に関する渇望も落ち着きを得てしまった今の私には、その気持ちが少しだけ分るようになってしまった。
まだ枯れ果てたわけではない。でも、コンディションを整えないと戦闘準備に入れない寂しさは実感せざるえない。無尽蔵の欲望に振り回された20前後の頃が懐かしい。
実際、同年代の友人にはパイアグラなどの薬に頼って不妊問題を解決した奴もいる。かなり真剣な悩みであったらしく、その告白を聞いた時は皆、思わず沈黙したものだった。
先日会った時に、パイアグラまだ使っているのかと訊いたら、使わんと一言。子供と遊んでいるほうが楽しいらしい。まァ、奥様も仕事に忙しいらしいので、夫婦ともにその気になれないそうだ。
周囲にもセックスレス夫婦の話は珍しくなくなった。それは年齢に応じた自然なことなのかもしれないが、お家の外では、そうでもないらしい。でも、イケなくても満足だそうだ。その気持ち、哀しいことに少し分る。
やはりスケベ心は永遠なのだろう。ただ、体がそれに付いていけないことが寂しい。まだまだ現役のつもりだが、10年後は怪しいことぐらい分っている。
分りたくはないが、分らざるえない。えらく複雑な心境で読み終えたが、やっぱり川端康成はスケベだ。見事に、天晴れに、スケベだと思う。
川端を読んだマルシア・ガルケスが「こんな話を書きたかったんだ」と言ったそうだが、それは「雪国」でもなければ「伊豆の踊り子」でもなく、表題の作品ではなかったのか?
内容が内容なので、間違っても教科書に載ったり、夏休みの課題図書に挙がることはないと思う。でも、機会があったら、是非一度読んでみては如何でしょう。私には川端文学の一つの頂点だと思えるのですがね。