ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

参議院での愚論

2015-08-07 15:07:00 | 社会・政治・一般

視野の狭い人が、平和を語ると、如何に不毛かが良く分かる。

21世紀の日本のおかれている立場は、決して安穏としたものではない。高齢化の進行により、保守的になるだけでなく、高齢者の貧困対策が十分でないため、使われないお金が景気の足を引っ張る要因となっている。

また少子化により、将来の社会の担い手が減少し、外国からの労働力導入は不可避となりつつある。それは社会の活性化にもつながるが、全体としては混乱を引き起こす。行政も司法も、まだまだ在日の外国人市民に対して十分な体制を整えている訳ではない。

この内政上の問題を抱えた日本が、戦争への道を辿っているなどと、賢しげに語るアホがいるのだから頭が痛い。徴兵制なんて、このハイテク兵器が主流の現代の軍隊に不向きであることは、多少の軍事知識があれば分かること。

アメリカでさえ、このハイテク兵器への対応に苦慮し、民間の技術者を雇用している始末である。PMC(民間軍事会社)の最大の顧客はアメリカ国防省であるのは有名な話だ。教育練度が高いとされる日本であっても、ハイテク兵器の運用には苦労してる。そんな状況下に、徴兵による素人兵士がどれほど役に立つのか。

子供が少なく、高齢者が多い国の場合、自ら望んで戦争を起こす可能性は、極めて低くなるのは当然のことだ。誰が一人しかいない子供を軍隊に取られることを望む。その子供が戦場で死ぬことを考えれば、断固戦争には反対したい。それが普通の人の感覚だと思う。

そして、この普通の人たちが自由民主党に投票してきたからこそ、今の安倍政権がある。やたらと安倍政権を攻撃する人たちは、本気で安倍首相が積極的に日本を戦争に引き込もうと狙っていると思っているのか。

先週末、大手マスコミの行ったアンケートとやらで、安倍政権に対する支持が低下し、不支持が逆転したと宣伝している。本気でそう思うのならば、是非とも総選挙を実行してみることだ。

散々、マスコミが批難し、国際的(シナ、コリア限定だが)信用を失墜し、国民からの支持を失っていると宣伝していた小泉内閣時の愚を繰り返すであろうと容易に想像できる。

おそらく今選挙をやったら、圧勝とはいかないまでも、与党の勝利は堅いと思う。盛んに安倍政権を非難している野党への支持が増えるとマスコミが宣伝しても、実際に投票に足を運ぶ有権者は、野党には投票しないだろう。

私は今の安倍政権が、決してベストな政府だとは思っていない。アベノミクスはあまりに投資面に偏りがちだし、安保法制に力を入れ過ぎで、国内の再整備に関心がない。

正直言えば、安倍政権を高くは評価できない。しかし、今の野党には期待の欠片さえ持てずにいる。だから相対的に与党を支持せざるを得ない。口先だけで批難するだけの政党の政権担当力が如何ほどのものなのかは、既に民主党政権という苦い薬を飲まされたから、よく分かる。

野党はマスコミの願望を真に受け、踊らされることなく、地道に普通の有権者が何を望み、何に不満を持っているのか、虚心に耳を傾ける必要があると思います。

まァ、それが出来ないからこそ万年野党なんですけどね。

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新国立競技場見直しに思うこと

2015-08-06 15:46:00 | 社会・政治・一般

高校生の頃、私は自転車で自宅のある三軒茶屋から、渋谷を経由して原宿の塾まで週三回通っていた。

渋谷のハチ公前の交差点を曲がり、丸井の前を駆け抜け、ここで山手線沿いの道を一気に駆け上がると、その左手には国立競技場が見えた。昼間は特になにも感じなかったが、授業を終えて帰る時にみる国立競技場はライトアップされて美しかったことは良く覚えている。

中に入ったことは、多分ない。だが、その石畳の広い通りと、奇抜な競技場の威容は決して悪い印象ではなかった。ここで東京オリンピックが開催されたことは知っていたし、奇抜であるがゆえに印象的であったのは確かだ。

そして今、あの国立競技場は取り壊されて、更地と化している。

既に報じられているとおり、当初の新国立競技場は建設にあまりに金がかかり過ぎるとの理由で、計画は白紙に戻されている。当初の予算案の二倍以上だというのだから、見直しの対象となっても致し方あるまい。

ただ、私が気になっていたのは、設計事務所業界の重鎮などからの、その奇抜なデザインに対する批判が相次いでいることだ。奇抜で何がいけないのだ?

かつての国立競技場だって、相当に奇抜だったし、周囲の住宅街とは違和感ありありだった。それで良かったはずだ。奇抜ではあったが、それを理由に代々木周辺の住民が反対したとか、高級住宅地としての価値が落ちたなどとは聞いたことがない。

むしろ周囲に溶け込むような地味なデザインのほうが問題だと思う。学校の体育館を作っているのではない。国際大会における競技場である。そこには、技術大国日本の矜持を示すような奇抜なデザインが、むしろ求められているはずだ。

問題にすべきは奇抜なデザインではない。既に実用的ではないと立証されている天然芝の開閉式天井のほうが、よっぽど問題だ。人工芝ならいざ知らず、天然芝に拘り、その上で開閉式の天井にすると、維持費が凄まじくかかるだけでなく、天然芝の育成も上手くいかず、結局毎回張り替えとなっているのが実際だ。

その度を越した維持費ゆえに、開閉を止めてしまった競技場が、日本のみならず世界に数多あることを思えば、見直しは必要だったと思う。

また当初の二倍を超えた予算だが、これははっきり言って自分たちの縄張りだと依怙地になった文部科学省が悪い。ゼネコンと、政治業者に上手く丸め込まれてしまったのが、その原因であることは明白だ。

私は見直しに賛成だが、大事なのはその中身だと思う。建築費用なんざ、つまるところゼネコン、下請け業者、仲介する政治屋に回るのは、いつの時代、どの工事であっても同じこと。カネは天下の回りものである。それの何が悪い。

むしろ半世紀後であっても胸を張れる、奇抜で印象的な国立競技場であって欲しいと思います。

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今月に限り

2015-08-05 14:55:00 | 日記

今年も8月は、水曜日をお休みします。元々、東日本大震災の後の電力不足に応じた措置だったのですが、わりと評判がいいので、今年も私の事務所は8月のみ、水曜日は休みです。そのかわり、お盆休みはありません。
ブログの更新も、仕事に準じて水曜日は休みとします。9月からは元に戻りますので、よろしくお願いします。

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バター不足に思うこと

2015-08-04 12:04:00 | 経済・金融・税制

バターは何故に足らない。

数年前から、時折発生するのがバター不足である。スーパーなどにいっても、バターの在庫はなく、入荷しても一人一個限りとされてしまう。

たかがバター、されどバターである。料理をする方には自明のことなのだが、マーガリンはバターの替わりとはならない。パンに塗るだけならマーガリンでも良いが、バターは様々な料理に使われる。ケーキ作りだけと思ったら大間違い。

このバターがないと美味しく作れない料理は沢山ある。私のような無精者の場合、バターがあるとないでは料理のレパートリーがだいぶ違う。特に短時間で作れる料理には、バターは必需品である。

そのバターが品薄だ。これは困る。困るのだが、政府の対応は緩慢だ。

政府?

そう、実はバターの供給には、政府が深く関わっている。乳牛から採取されたミルクの大半は飲料用として出荷される。その残りが乳製品の原材料として活用される。しかし、乳牛の生産と育成は、慢性的な赤字事業。そのため政府からの補助金が欠かせない。

その一環として、バターなどの乳製品の出荷は、指定牛乳生産者団体制度の下で行われている。この指定を受けた業者を通じて、バターの原材料は供給される。つまり、事実上政府、農林水産省に流通過程を握られ、価格調整されて出荷は計画的に行われている。

はっきり言えば、バターの供給不足は、農水省の管理の失敗である。農水省の退職官僚たちの指定天下り先である業者で行われている出荷の調整が、市場の動向を読み違えたことからバターの不足は生じている。つまり政府の失政である。

失政の原因はいろいろあるが、やはり価格統制は市場経済の下では難しいのだろう。日本人は次第に牛乳を飲まなくなってきているが、反面乳製品はとるようになった。しかし、この乳牛の生産農家を保護する仕組みは、その飲む牛乳を中心に考えられたものだ。

しかし、ご存じのとおり、日本人は牛乳を飲まなくなりつつある。いや、正確に云えば、美味しい牛乳は売れている。しかし、指定牛乳生産者へ出荷した牛乳に関しては、毎年売り上げは落ちるばかりである。

これはお米と同じ構造で、どんなに美味しく牛乳を作っても、他の牛乳と混ぜられてしまうので、その努力は無駄となる。なにせ、政府が価格を保証しているので、美味しく作るよりも、量さえ確保できればいい。

しかし、牛の食用穀物は円安により高騰し、小規模畜産農家には経営は厳しくなる一方だ。それなのに価格保証制度により畜産農家を保護する政府としては、出荷量を抑制して、税金の投入を減らす方向にもっていく。

その結果として、牛乳の出荷後の残りを乳製品にまわす今の仕組みでは、バターなどの供給不足になるのは必然でしかない。これを農政の失敗と云わずしてなんという。

おかしいのはマスコミの報道だ。仕組みが分かりづらいせいもあるが、呆れるほど政府の失政に対する批判は鈍い。まるで他人事のような紙面を幾つも読んでいる。特に農水省に番記者を置いている新聞、TVがひどい。

さすがに週刊誌などは頑張っている。だが、如何せん雑誌の購買部数は減少傾向にあり、世論を動かすほどの力はない。ネットの世界は、情報が読み手の嗜好に左右されがちであり、このような複雑な構造を持つ事件を報じる記事は、敬遠されがちとなる。

私のみたところ、新聞やTVの記者は、自分で料理するような生活とは無縁の人が多く、それゆえバター不足の影響をたいして評価していないのだと思う。多忙で勉強不足なのは分かるが、これではダメだ。

規模の小さな畜産農家の保護、育成は、どこの国でも難しい問題だ。日本のような価格保証制度を採用した国は、変動する市場動向に対応できずにいるケースが多い。今のところ、所得補償制度に切り替えているようだが、これも万全とはいえない。

私は食料の安全保障の面からも、小規模農家の保護は必要だと考えているが、現時点ではどのようにしたらいいのか模索中だ。ただ、一つの在り方として、国の保護ではなく、農家自身の創意工夫をより高く評価するべきではないかと考えている。

指定牛乳生産者団体へ出荷せずに、エンドユーザーに直接販売する方式を採用している畜産農家もあり、美味しい牛乳、乳製品を少数ながら高額で販売して成功している。

このような創業者精神に溢れた小規模事業者を免税や、投資減税の対象とするなどして保護育成することも考えてもいいのではないか。

ただし、農水省はあまり好意的ではない。自分たちの価格保証制度に反対するものと考えているのか、あるいは役所の保護下におけないことが不満なのかは知らないが、積極的に推し進める気はないらしい。偏見かもしれないが、役所の天下り先への批難を非常に厭う傾向が強い。

政治の動きも鈍いが、このようなアイディアとやる気に溢れる小規模農家などをマスコミが取り上げれば、政治も動くのではないか。そう考えると、やはりマスコミの役割は大きい。

それだけに、私は今のマスコミ、とりわけ記者クラブに代表される大メディアの報道の在り方に、どうしても好意的にはなれない。日本の政治、とりわけ野党がダメなのは、マスコミがダメなことの証左でもあると思いますね。

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8マン 原作・平井和正/作画・桑田次郎

2015-08-03 12:08:00 | 

あまりに不遇にして不運。それが8マン。

間違いなく人気作品であった。丸みを帯びた絵柄が主流であった当時の漫画界にあって、桑田次郎(現、二郎)のシャープな描写は際立って印象的であった。原作は「ウルフガイ」「幻魔大戦」の平井和正である。

まだ新人のSF作家であった平井は、小説家としては稼ぎが少なく、豊田有恒(SF作家)や福島正実(SFマガジン編集長)らの紹介もあって始めた漫画の原作に情熱を燃やしていた。面白くない訳がない。

かつて手塚治虫の代筆を務めたほどの桑田の画力とあいまって、週刊少年マガジンでの大人気、それはアニメ化されてTVで放送されると爆発的な人気を博した。

しかし、最終回を目前にして放送は中断された。原因は桑田の銃刀法違反である。痴話げんかのもつれから、相手方から銃器を隠し持っていることを通報されての逮捕であり、子供向け漫画の作者としては許されぬ事件であった。

ところで、TVアニメ「8マン」の主題歌も、けっこうヒットして子供たちから愛唱された。歌手は克美しげるであったが、その克美自身が愛人を射殺するという事件を起こし、この主題歌も放送されなくなる始末。

おまけに原作者の平井和正は、学研と原稿改ざんを巡る争いが原因で、大手出版社から干される始末。あれだけ大ヒットした人気アニメ、人気漫画であるにも関わらず、大人の事情で尻つぼみになってしまった不遇な作品である。

しかし、優れた作品であったのは間違いなく、決して忘れ去られることはなかった。ファンは作品を見捨てはしなかった。それなのにだ、またしても馬鹿をやった。

実は1990年代に宍戸開主演で実写映画化されたのだが、これがアニメの実写化史上屈指の駄作だった。映画の失敗で出版社も倒産し、8マンは漫画界屈指の不遇不運な作品として名を留めてしまっている。

漫画としては「サイボーグ009」や「ロボット刑事」の先駆者的な作品であり、そのシャープな絵柄とあいまって人気作として不動の地位を築けるはずであった。それなのに、この惨状。

現在のCG技術、SFX技術を駆使することでリメイクすれば、まだまだ十分ヒットする可能性はあると思えるだけに、実に残念な作品でした。

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