そうか、仏教にも宗教改革はあったのだな。
なんか、心にすっと入ったというか、落ちたとくか、素直に納得できた。
そして、同時に納得できた。やはり日本人は海外から輸入したものは、日本に合うように改造してしまうのだと。
インドで生まれた仏教だが、現在日本で信仰されている仏教とは似ても似つかぬものとなっている。
おそらくゴータマ・シッダルーダが打ち立てた仏教は、転生輪廻からの離脱であり、その背景にあるのは古来からインドの民を縛ってきたバラモン教からの離脱である。
しかし、月日が経つうちに仏教は難しくなり過ぎた。そこで庶民にも分かり易い新たら仏教が、いわゆる大乗仏教であり、これが中央アジアからシナに伝播して、最終的には日本にまで広がった。
ところが、日本という国は海外から輸入したものを、自国に合わせて改造してしまう悪癖がある。インドで生まれ、シナで育ち、日本にやってきた仏教は、いつのまにやら本来のものとは別物に変わってしまっている。
幸か不幸か、大乗仏教はインドでは既に廃れており、シナでも大きく変質しており、誰も本来のものとは違うと異議を唱えるものはいない。まさにやりたい放題なのが、日本の仏教である。
学生運動の大波から零れ落ちた三田誠広が、自己を省みて「僕ってなに?」と問うて文学を志した。彼は日本って何かを模索しているうちに、「仏教ってなに?」に辿りついたのかもしれない。
本来の仏教から大きく逸脱し変質した仏教を分かりやすく解説したのが表題の書です。
別に熱心な仏教徒でもない私が、なぜにこの本に手を出したのかというと、それは私の私的探究である日本史再構築において現在、ひどく挫折している「大化の改新」への新たなアプローチとして仏教に手を染めたからです。
元々は中大兄の皇子(天智天皇)とその弟とされる天武天皇に焦点を当てるつもりだったのですが日本書記という壁にぶつかり挫折。いや、この日本書紀の編纂者の一人である藤原不比等というとんでもない怪物に出くわし、困惑してしまったのです。
そして、不比等を追えば必然的に聖徳太子へと遡らずにはいられなかった。いや、厩戸皇子というべきか。この時代、あまりに謎が多過ぎて、私の頭は限界クラクラなのです。
そこでアプローチの手法を変えることにし、その一つが仏教なのです。本当は景教や拝火教も探るべきなのでしょうが、資料が少なすぎる。とりえあず、とっつきやすい仏教から迫ろうと考えた次第。
素人には荷が重い、重すぎると思わないのでもないのですが、新しい発見も多々あり、けっこう楽しんでいます。まだまだ先は長そうですけどね。
なんか、心にすっと入ったというか、落ちたとくか、素直に納得できた。
そして、同時に納得できた。やはり日本人は海外から輸入したものは、日本に合うように改造してしまうのだと。
インドで生まれた仏教だが、現在日本で信仰されている仏教とは似ても似つかぬものとなっている。
おそらくゴータマ・シッダルーダが打ち立てた仏教は、転生輪廻からの離脱であり、その背景にあるのは古来からインドの民を縛ってきたバラモン教からの離脱である。
しかし、月日が経つうちに仏教は難しくなり過ぎた。そこで庶民にも分かり易い新たら仏教が、いわゆる大乗仏教であり、これが中央アジアからシナに伝播して、最終的には日本にまで広がった。
ところが、日本という国は海外から輸入したものを、自国に合わせて改造してしまう悪癖がある。インドで生まれ、シナで育ち、日本にやってきた仏教は、いつのまにやら本来のものとは別物に変わってしまっている。
幸か不幸か、大乗仏教はインドでは既に廃れており、シナでも大きく変質しており、誰も本来のものとは違うと異議を唱えるものはいない。まさにやりたい放題なのが、日本の仏教である。
学生運動の大波から零れ落ちた三田誠広が、自己を省みて「僕ってなに?」と問うて文学を志した。彼は日本って何かを模索しているうちに、「仏教ってなに?」に辿りついたのかもしれない。
本来の仏教から大きく逸脱し変質した仏教を分かりやすく解説したのが表題の書です。
別に熱心な仏教徒でもない私が、なぜにこの本に手を出したのかというと、それは私の私的探究である日本史再構築において現在、ひどく挫折している「大化の改新」への新たなアプローチとして仏教に手を染めたからです。
元々は中大兄の皇子(天智天皇)とその弟とされる天武天皇に焦点を当てるつもりだったのですが日本書記という壁にぶつかり挫折。いや、この日本書紀の編纂者の一人である藤原不比等というとんでもない怪物に出くわし、困惑してしまったのです。
そして、不比等を追えば必然的に聖徳太子へと遡らずにはいられなかった。いや、厩戸皇子というべきか。この時代、あまりに謎が多過ぎて、私の頭は限界クラクラなのです。
そこでアプローチの手法を変えることにし、その一つが仏教なのです。本当は景教や拝火教も探るべきなのでしょうが、資料が少なすぎる。とりえあず、とっつきやすい仏教から迫ろうと考えた次第。
素人には荷が重い、重すぎると思わないのでもないのですが、新しい発見も多々あり、けっこう楽しんでいます。まだまだ先は長そうですけどね。