天気:晴れたり曇ったり、気温:20度C
コスモスの花を見ようと、いつもの芝平の谷でなく山ひとつ隣の松倉の集落を来ると、ちょうど村を背景にした丘の上で、一叢のコスモスの花に出くわした。いつも通る芝平の谷にもコスモスは咲いている。しかし、狭隘な谷の、しかも廃村の雰囲気とでも関係するのか、平穏なたたずまいの松倉の村の方がコスモスの花は長閑で似つかわしい。
小さなころのコスモスは、どこでも見かける安っぽい石鹸のような匂いのする花だった。しかし今は違う。小さなちいさな縁が幾つも重なって、どんな花にも負けないほど、この花のことを愛おしく感じている。
この小さな幾つもの縁のひとつに、ローマンカトリックのある日本人修道尼がいる。この人はアフリカ大陸に近いある国の、貧しい産院で働いていた。それが彼女の負った宗教的な実践活動であったのだろう。夕焼けとコスモスの花が好きだったと、この人をモデルにした小説は教えてくれている。
ある理由でこの国を訪ねる機会があって、小説ともう一冊の本でしか知らないその修道尼の働く産院まで足を伸ばした。かつてはアフリカで植民地政策を進めるフランス人たちの保養地でもあったというその地には、小説でも描かれているように大きなコスモスの花が咲いていた。写真で見た、丸いメガネをした清楚で穏やかな顔をした40代前後のその人に、しかし、会うことはできなかった。偶々用事ができたそうで、帰国していた。
ただ驚いたことに、小説を読んだ日本人からの多くの義援金を元に、貧相なはずの産院は立派に生まれ変わっていた。託された物は、もうひとりの日本人修道尼のNさんに渡し、いろいろな話を聞くこともできた。
その夜眺めた、南半球の夜空の圧倒されるまでの星の数とその美しさには、それ以前にもそれ以後にもなかった感動をしみじみと味わった。
それから何年かして、働いていた事務所の玄関の近くで、反対方向に去っていく灰色の修道服を着たシスターの後姿を目にした。妙に印象に残るその人こそ、あとで知ったことだが、遠い国では会えなかったあの遠藤さんだった。その時も短期の帰国だったようで、程なくまたコスモスの花と星空の美しい国に戻っていったという。
そして、その後の遠藤さんの消息を知ったのは、さらにまた何年かが過ぎていた。ある日彼女は用事ができて、例の産院を出発して間もなく、乗車していた車の中で亡くなったという。
生前、あんな遠い異国で、生涯を信仰にささげたとはいえ彼女は、自身の人生をどんなふうに考えながら生きていたのだろう。彼女の眠るラテライトの丘には、好きだったコスモスの花がやさしい風に揺れているのだろうか。
台風が接近しているという山の中で今夜は、一人でいい夜を過ごしている。苦しいことや哀しいことも、いつかはギヤを切り替えるときがくる。秋はそうすることのふさわしい季節かも知れない。
「海山」さん、本当にいつもありがとうございます。村田H子さん、ヤマかっちゃんも週末には来ますから、キノコ汁食べに来なはれ。TDS君、Hoo男連れて来なんしょ。