雨は止んだようだが、きょう一日は曇天で晴れそうもない。そういう日にこんな写真だが、これは24日の朝に冠雪した北ア方面を撮ろうとした時の1枚。ここへ来るといつも、実際に見えている風景と、それを小さな機器にの中に取り込めないもどかしさを感ずる。本当は、視界の半分を占めるもっと大きな深い空があったのだが。
この時期、身内の訃報と一緒に年賀の挨拶を欠礼する旨の葉書が届く。きょうも2通来た。1通はあらかじめ分かっていた。もう1通は思いがけなかった。
それに対して、何か考えようとして長い間放置していた庭の草を毟った。最早どうしようとも思わない陋屋で、枯れ始めた雑草を始末するのは、自分なりの弔意を示すに相応しかったかも知れない。いろいろな思いが錯綜する。何も知らないHALがいつものように近寄ってきた。
ここまで生きれば、身内の死ばかりでなく幾人もの人の死に接し、送った。若くして山で亡くなった者もいれば、100歳を超えた身内もいた。その多くは呆気ないと感じ、しばらくすると記憶のそれなりの場所に落ち付く。あるいは忘れる。
老いと死を気にして後年、禁煙までしたあの高名な評論家は、70歳を目前にして、「棺桶に片足をつっ込」んだ意識もなく生きる者は「不具」だ、などと言い放ったらしいが、もうその人もとうに両足を棺桶に入れてしまって、話題になることはあまりない。
余程の人でもない限り、せいぜい2代かそこらで一人の人間の存在は忘れ去られてしまう。歴史に名を残すなどと言ってみても高が知れたもので、所詮は吹き消したマッチ棒の煙のようなものだろう。しかしだからこそ、せめて残された者はその死をしっかりと受け止め、「天然の永遠」に送り出すべきだ、それしかない。
故人との懐かしい思い出が、いささかでも心の痛みを癒されんことを。
昨日の呟き、水戸藩と会津藩の記述に混乱と解される箇所がありました。訂正しました。