入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’25年「冬」(9)

2025年01月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 そろそろ上に様子を見に行きたくなってきた。もう、山は何度も雪が降って車では無理だろうから、法華道もしくは通勤路である林道を歩いていくしかないが、それを敢えてしたいのだ。
 先日は、自分の体力を知るためにスキーに行きたいと呟いた。炬燵の囚われ人の身で、「年寄の元気、春の雪」であることも承知の上で、古道の「厩の平」辺りの雪に埋もれたクヌギの林が目にチラチラし、呼びかけに応じたくなっている。

 一昨日、昨日は珍しく夕飯抜きで散歩に出た。ということは、アルコールも入っていないことになる。普段だと、5時ごろには少なくも酒1合とビール500ccを飲み、夕飯を済ませてから酔いに誘われるようにして家を出るのだが、この頃はあまり遅くないうちに帰ってこようとして、一昨日は6時ごろ、昨日はさらに早く5時ごろだった。
 
 少しばかりアルコールが入っていようといまいと、歩行に影響するとは思わないが、何と言ったらよいのか、いつもよりか感覚的な部分が乾いているような気がし、何となく豊かな夜の闇から受ける快い刺激が弱いような気がした。
 例えば、決まって耳にする瀬澤川の流れの音、福与の長い下り坂で道路の横を流れ下るやはり水の音が、両日とも意識の中に入ってこなかった。そのことを後で気付き、それを乾いた感覚のせいだと思った。そして闇に対する親しみ、あるいは道中に浮かんでくる記憶、妄想の類に、アルコールは触媒の役をするのだということを今更ながら再認識した。

 昨夜は素晴らしい月夜だった。歩き始めてすぐに東の山の冬の澄み切った夜空に大きな丸い月が浮かんでいるのが目に入ってきて、道中の楽しみが増えたと喜んだ。
 開田、県道、瀬澤川、そして「八つ手」集落の端をかすめて1時間ばかり歩くと、「福与」に抜ける峠にポツンと小さな灯りが見えた。人でもいたらまずいなと思いながら近づくと、それが山付きの畑に残るビニールハウスに冴え渡る月光が反射していたのだと分かり安堵したが、それほど月の光は強く、明るかった。
 
 そこでだが、もしいつものように少しばかりの酔いがあったとしたなら、もっと月にまつわる物語が幾つも浮かんできて、あの光の刃はもっと鋭く、もっと深く胸に刺さったのではないかと、天竜川の堤防を歩きながら背後に回った月を振り返りふりかえりそんなことを考え帰ってきた。
 本日はこの辺で。


 
コメント
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