今朝も寒い。ストーブを点けてすでに1時間ほど経つが、室内温度はまだ10度まで上がらず、コーヒーを喫し、さらに紅茶も頂戴した。日が昇っていたせいか、8時半ごろの外気温は零下3度ほど、きょうは天気もまずまずのようだから太陽の恵みを期待することにする。
さて、わが体内に残存を決めている結石、昨日市営病院でその破砕を試みた。結論から言えば、成功しなかった。大きさは11ミリ、かなり固いらしい。それを約1時間、特殊な機械で体内の石めがけて衝撃波を当て、粉砕を試みたのだが果たせなかった。
事前に麻酔をし、それでも泌尿科医からは「痛いですよ」と予告され、その施術を施す結石破壊室の医師も同じことを言う。それでも、じっと横になっている間、スマホをいじって気を紛らわせていてもいいと言うので、その日買ったばかりの月刊誌を持って横になった。
いよいよ、患部に衝撃波ガドコン、ドコンという音とともに与えられだしたのを感じながら、このくらいならと本を読み始めた。ところが、眼鏡を持ってこなかったので、しばらくすると読みにくい字を無理して見ていることで余計に疲労感を感じ、ついには低い枕の上に本を重ねて、大半の時間はされるままになっていた。
衝撃波による痛みに関して言えば鈍痛の類で、もう一度21日に再挑戦することになっているが、そのことは心配していない。
医師の話によれば、石が自然に流れる可能性もあると言うので、その夜も散歩を予定通りした。石は体内に残っているはずだが、衝撃波のお蔭かどうか、その部位の違和感はさらに減ったような気がする。
いくら呟いても、夜の散歩の良さを言葉にすることは難しい。あの夜気が身体ばかりか、それ以上に心を清めてくれ、その快さを感じれば、言葉は悪いが中毒になりそうだ。
散歩の間は、前後の脈略もなくこれまでの人生で起きたいろいろなことを思い出す。勝手に出るに任せている。
中には幼子の笑顔のような記憶だったり、あるいは普段は思い出したこともない出来事が不意にやさしく、懐かしさを持って浮かんできたりする。座っているときは無念無想を心がけるも散歩のときはまったく逆で勝手放題、糸の切れた凧、綱を切った暴れ牛だ。
幽明を異にした人もたくさん出てくる。そうすると、彼ら彼女らと自分の人生を重ね、他人のように俯瞰している時もある。
友人が来たので本日はこの辺で、明日は沈黙します。