入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’25年「冬」(11)

2025年01月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前7時半、気温零下8・5度と今冬最も寒い朝となった。里がこの気温だと、上はマイナス14,5度になっているだろう。積雪の量も気になる。
 
 誰も気にしないことに一人で気を揉んでいる。いつでもそうだ。台風が来ようが、大雨が降ろうが、落雷があろうが、誰か他に心配する人などいない。下から問い合わせてきたこともない。
「入笠連絡協議会」という組織があり、それに上伊那農協も加わり、伊那市、富士見とたまには会合をもっていることはそれとなく知っている。しかし、その内容がこっちまで伝わってくることはない。
 富士見のことまでは分からないが、1年に1度来ればよい程度の何の現地の状況も知ろうとしない人たちが何を語り合い、何を決めているのかと訝しく思う。少なくも入笠の伊那側には過去18年間何の変化も、改善も見られなかったと言っていいだろう。

 入笠の伊那側の麓の深い谷の中のあの集落、芝平とはただ通勤の途次に通過するだけの関係に過ぎないのに年々愛着が高まり、時にまるで地元民のようにあれこれと想像をめぐらす。特に北原のお師匠たちがまだ子供のころのことを、自分も一緒に体験したかのように。
 北原少年は仲間と1時間、2時間はかかる山道を平気で牧場まで登ってきて、当時は今ほど管理がうるさくなかった牧場を遊び場にして、放牧中の馬や牛と戯れ、丘の上に生えていた山梨の実をおやつ代わりにして食べた。その名残で、今は「貴婦人の丘」などという名前に変わったが、かつてあの丘を地元の人たちは「梨の木」と呼んでいた。
 山奥の村にも太平洋戦争のきな臭い匂いが少しは伝わってきたころで、お師匠たちが遊び相手にした馬の中にはやがて軍馬として戦地に赴くことになったのもいただろう。

 芝平には、そこにしかない貴重なソバ、そして唐辛子が古くから伝えられていて、旧地元民はそれらを大切にしている。特に「芝平ソバ」については今まさにその復活に熱心に取り組んでいる人たちがいて、お師匠の身内の人たちもその仲間だと聞く、結構なことだと思う。
 入笠も時代とともに変わる。今はそれしか言えないが、「法華道を守る会」も少しづつ活動を始めつつあり、人にも知られるようになってきた。務めとして、あるいは業として働く人たちではなく、当面はこうした善意の人たちの活動に関心を持ち、期待を寄せている。
 
 本日はこの辺で。

 

 
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする