月日の流れるのは早いが、一日は長い。明日だと思っていた時間がようやく来て、夜の更けるのに心身が慣れてきた。午前零時を回ったが、もっとこのままこの時間の中にいたいと思い始めた。遠い昔にあって、今はない懐かしい時間のような気がする。
ここでまたビールを飲めば、何時間後にははばかりに行くため起きなければならない。それでも、もっとこの時間に深くはまりたいと思うから、アルコールにも出番を与えようかと迷っている。さて。
空の半分以上が陰鬱な雪雲に覆われた朝が来た。今朝も、西の経ヶ岳の雪の状況を見ながら、ここからは見えない反対側の入笠も含めた東の山のことを気にしている。
あの人たちはこんな天気の日でも、身の丈を超えるクマササや新雪に足を取られながら仕事をしているのだろうか。日の射さない、北側の急な斜面で。
「あの人たち」とは樵(きこり)のことである。
この時季、伐採の仕事は危険で寒く、大変な労力を要する。伐った木材を搬出するため山腹にキャタピラ付きの重機、フォワーダーが通れる道をえぐるように造ることから始めなければならない。これにもバックフォーだかユンボだか、はたまたシャベルカーと言うのか、重機が必要である。
作業道ができれば、いよいよ伐採が始まり、それが連日続く。伐り倒した木材はフォワーダーからワイヤーを引き出し、それで結んで引っ張り上げるのであるが、作業員はそのために下り、そして登り、を繰り返さなければならない。
雪が深ければ根元まで除雪できず、ずいぶん中途半端な所から伐採したなと思ったりする木も目にするが、逆にそれが樵の苦労を伝えているのだと分かる人は少ない。
そうやって、終日奮闘し、今度は伐った木材をトラックに積み込み、積載量オーバーを気にしながら里に運ぶ。この丸太、4メートルが標準だが、一体いくらすると思うだろうか。落葉松でもいいし、ヒノキでもいい。貯木場で皮付きのヒノキを買ったことがあるが、驚くなかれナント1本の値段が千円しないのだ。
ということは、仮に一人の樵が日に30本伐れたとしても、その額はたったの3万円にもならないことになる。あの苦労と労力の対価としてはあまりにも少な過ぎる。さらに伐採した丸太を20トンの大型トラックが待つ場所までフォワーダーで運び、積み込みをやって、さてどれほどの量の材木を貯木場まで運べるか。金額にしたら、恐らく良くても10数万円程度にしかならないだろう。
わが国の7割が山岳地帯だと知っている人はいても、その大半は戦後に植林された人工林で、すでに伐採期を迎えているにもかかわらず、それができずにいる現状を知る人がどれだけいるだろうか。国有林内には放棄され、朽ちかけた作業小屋が今もそこらに残っている。
吹雪の中、遠くから聞こえてくるチェーンソーの音は、そうした山や林の現状に対する訴えでもあるかのようだ。
本日はこの辺で。