さて、ライプチヒなんですが
現地レポーターが ニクラス&ベルナルド の回あたりでは
スピリ・シュピリ・シュピーリ&ハイジ・ハイヂ・ハイディよろしく
ライプツィヒ でありました。分かれてしまった。
今回(2022)のレポーターが「でもライプチヒが人気の町になったのはここ20年ほどのことです」と言っている。
ニクラス&ベルナルドやその回のも一つ前の回のフランツィスカがレポーターだった頃は(目が回る、思い出すのもタイヘン。)、2015とか2014辺り(ロケ時点では2013かしら?)だと思うので、その20年の半ば頃だったのですね。当時の紹介ポイントは
〇 鴎外は 29歳の時に ライプツィヒとベルリンを訪れていた。
〇 1901年10月1日、瀧廉太郎はライプツィヒ王立音大にやって来ている。
〇 ライプツィヒのカフェ(Coffe Baumというところかな)。 シューマンのコーナー(1833年から1840年まで 彼がほぼ毎晩座っていた席 )に着いたフランツィスカが注文するのは、…
と 歴史香しき地といったトーンだった。(いや別にゴガク番組だからそれはそれでよいのでしょうが。)
っま、とにかく時はどんどん流れ物事はどんどん変革していくのであった。周りはね。自分はどうだ。変な跳ね返りが心に刺さり、ズキンズキン。
現地レポーターが ニクラス&ベルナルド の回あたりでは
スピリ・シュピリ・シュピーリ&ハイジ・ハイヂ・ハイディよろしく
ライプツィヒ でありました。分かれてしまった。
今回(2022)のレポーターが「でもライプチヒが人気の町になったのはここ20年ほどのことです」と言っている。
ニクラス&ベルナルドやその回のも一つ前の回のフランツィスカがレポーターだった頃は(目が回る、思い出すのもタイヘン。)、2015とか2014辺り(ロケ時点では2013かしら?)だと思うので、その20年の半ば頃だったのですね。当時の紹介ポイントは
〇 鴎外は 29歳の時に ライプツィヒとベルリンを訪れていた。
〇 1901年10月1日、瀧廉太郎はライプツィヒ王立音大にやって来ている。
〇 ライプツィヒのカフェ(Coffe Baumというところかな)。 シューマンのコーナー(1833年から1840年まで 彼がほぼ毎晩座っていた席 )に着いたフランツィスカが注文するのは、…
と 歴史香しき地といったトーンだった。(いや別にゴガク番組だからそれはそれでよいのでしょうが。)
っま、とにかく時はどんどん流れ物事はどんどん変革していくのであった。周りはね。自分はどうだ。変な跳ね返りが心に刺さり、ズキンズキン。