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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

「パスト ライブス/再会」 寄り道 「ギリシャ語の時間」

2024-11-04 | _よむ__
ノーベル文学賞つながりでやってきた。2冊め。
ハン・ガン著 「ギリシャ語の時間」

【アジア人初の英国ブッカー国際賞受賞作家、
ハン・ガンによる心ふるわす長編小説
ある日突然言葉を話せなくなった女は、失われた言葉を取り戻すために古典ギリシャ語を習い始める。ギリシャ語講師の男は次第に視力を失っていく。ふたりの出会いと対話を通じて、人間が失った本質とは何かを問いかけていく。
「この本は、生きていくということに対する、私の最も明るい答え」 ――ハン・ガン】(出版社サイトの紹介文より)

いきなり飛びますが
ドラマ「エルズベス」で
主人公のある台詞一つ、
彼女がしゃべった(≒吹き替えられた)
「声に出して考えているだけ。」は字幕で
「声に出して整理中。」となっていた。
(吹き替えと字幕はその逆だったかもしれない。とにかく再生中に吹き替え版なのになぜか字幕も表示していたら、時々表現が違っていることに気づいた。)
例えば
◯ そう多くはない
◯ ほんの少しだけ
に代表者となってもらおう、このランクの表現違いはほかにも何か所かあって
これは違うけど違わない(違っていると問うてしまうと成り立ってしまうけれど、大勢は違っていないで結構です)。
けれども
◯ 声に出して考えているだけ
◯ 声に出して整理中
を 違っていない にできない。私がね。ここでね。たまたま見つけただけなのにね。だから悩む、の方向ではなくて 1粒で2度おいしい の方向。「整理中」の方のエルズベスは、なんか新鮮。

いきなり戻って、「ギリシャ語の時間」。
手探りで読み進む。
私はこのストーリーに付いて行っているのか。
読了した今も ハテナな感じが続いている。
そのハテナ感の鮮やかさ。
印刷された日本語を読み取った私の読解力はどの程度なのか。
読解したくなければ途中で読むのをやめればいいだけのこと。
なのに 読了してみたかった。
不思議な世界。
強い世界。
この強さをどう受け取るか。



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「日曜日が待ち遠しい!」

2024-11-02 | _気な・気な_
たしか ロードショー公開を見に行った。
40年位前!かぶきちょーあたりだったか?とここで、myブログ・ポルターガイスト。(単にちょっと思い出した、ということですな。)

見ていない映画祭、「没後30年フランソワ・トリュフォー映画祭」のチラシだけ見たのが2014-12-10と10年前。“待ち時間5分ほどで案内されたその店”のタルトタタンのことも思い出したら、とても食べたくなりました。ただ、遠い。【“東へパンケーキへ東へ” ぷらす “西へずずずいーっと西へ”タルトタタン 弾丸食べ歩きツアー】企画あったら乗っていきたい。そして繰り返す、遠い。
あれ?とんでもない食欲の話は置いといて 「日曜日が待ち遠しい!」 は、トリュフォーの遺作だったんだな。なんだかすっかり忘れている。

で 録画再生してみると 映画内容もみごとに覚えていない><。
初めてみるような気で 楽しく?見ました。

映画だ。
とっぷりとそう浸る、この久しぶりの感覚。
当時はたぶん、平日の夜の時間帯に見ていたはずだ。
翌日のお昼休みかなんかに
「昨日、見てきましたー、トリュフォー!」とかなんとか
きゃっきゃと周りに報告していたはずだ。
どんな映画を見たとか
どんな芝居に行ったとか
どんな本に挫折しているとか
どんな旅で思いがけなかったとか
何だろう。あの頃のそんな風に溢れていたものって
何だろう。



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