福岡までぶらりと仏画展を見に行って来た。新しく描かれた仏画ばかりである。寺院の本尊として崇められたような古い仏画類は一点もなかった。
観音菩薩、勢至菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、弥勒菩薩などの様々な菩薩、加えて釈迦如来、阿弥陀如来などの如来が、掛け軸や横額、縦額に納まって、会場の空間を圧倒していた。
仏画にはこの通り当然仏が描かれている。それが全部だ。
仏は本来、信仰の対象である。だから、仏画は芸術美術の領域を超えて訴えて来る。迫って来る。そういうところがある。
美しく描かれているというだけでもいいのかもしれないが、仏は見る者に仏界の真理を指し示しているので、見入っているとやがて感歎と頷きと讃仰が出るはずである。
こうなると美術愛好家の集う展覧会に来ているという余裕がなくなってしまうであろう。
仏画の中の菩薩や仏は、月を指さしている指先に過ぎない。
指先を見て月を見ないのなら、本末転倒の誹りを免れ得ないだろう。
今日のわたしは指だけを見て指が指さしているものが見えなかったかもしれない。
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余談だが、会場の福岡センタービルは護国神社の近くにあった。神社の鳥居が森に隠れて中半見えない。街の中心部にこれだけの深い静かな森があるとは! 驚きだった。次は自転車を積んで行こう。ゆっくり周辺のサイクリングをしてみたい。