じゃ、何か得をすることをしたのかね? この男は首を縦に振らない。じゃ、人様に何か得をさせてあげたのかい? これにも縦に振れない。じゃ、得になることは今日一日何もしないで過ごしたというわけだね。彼はここで首を縦に振った。夜も更けた。外に出てみたが、星は見えなかった。それでも夜は更けて行くのである。徒労ということはありえない。あったら、これほど久住のお山が平和で静かであるはずはないのである。灯りの下まで来た。一匹の虻がまとわりついて離れなかった。
夏の久住のお山にはユウスゲが咲いている。薄い黄緑色をしたかわいい花だ。首だけがやたらと高い。これで夏草の茂みから抜きん出ていられる。ユリに似ているがユリよりはずっと控え目かもしれない。観察をするために近くへ擦りよって行った。ラッパの奥に蘂が覗いていた。小さな花虻が飛び出して来た。後には少女のような恥じらいが見て取れた。
いいなあ、人様は! カップルで連れだって。笑顔が美しい。互いに掛け合う笑い声があたたかい。いそいそ。足取りを弾ませて。さぶろうにはそれができない。いつも一人だ。一人で旅に出て終始無言。食べるときも飲むときも寝るときも無言。話しかける人がいないから当然だ。口寂しいので、常備したハーモニカを吹く。童謡を2、3曲。それでまぎれて、また歩き出す。するうちにまた仲良し二人組に擦れ違う。またため息が出る。いいなあ人様は、仲良く手を取り合っていられる人様は。と思う。また下手なハーモニカを吹かなければならなくなる。人が聞いているときにはやらない。今度はクレヨン水彩で遊ぶことにする。詩を書く。誰もいないところで読経する。どれも一人でできることだ。うまく、楽しく人と合わせることが苦手であれば、独りでいるしかないのだ。だったら羨ましがらないといいのに、羨む。厄介な男だ。
部屋の障子戸が明るくなった。戸を開ける。久住の山々が、人ごいしくて、窓から押し入って来る。小鳥がすぐ近くで鳴いている。丘にオニユリの群落があって赤く手招きをして来る。人懐こい。さ、これから朝風呂だ。
部屋は10畳の和室。一人の孤独にはちょうどいいか。朝ご飯は8時。それまでまだたっぷりある。露天のある方角に人の声がする。湯煙が立ち上がる。僕はおもむろに宿の浴衣を羽織る。旅人になるために。
夕食後に再び硫黄泉へ。九時を過ぎている。露天に出る。やはり一人だ。灯りが湯船を照らしている。闇がここだけ切り取られて孤独だ。そこへ飛んで火にいる夏の虫だ。湯船に落ちてもがいている。羽の形からすると、ゴキブリに見えるが、カミキリ虫かもしれない。四角の湯船を丸く泳いで回る。まさか納涼のつもりではあるまい。湯は熱いのだ。硫黄分があるのだ。助けてやろうとしたけれども、やつは、溢れる湯の量に乗っかかって、自力で這い上がって行った。濡れた羽では当分は飛べまいが。久住山は高地である。夜の空気がひんやり流れている。星は見えない。
飲んではいけないのに飲む。少しで止めておけばいいのに止まらない。生ビールをジョッキで飲み、芋焼酎を飲み、それでも足りないで今度は日本酒の熱燗に手を出す。日頃抑えている分を一気に取り戻した感じだ。もちろん血糖値を抑える薬は飲んだ。だが、これほど暴飲暴食して羽目をはずしたら、なんの役にも立つまい。痩せている。なにしろご飯を食べていない。この日も食べない。せっかくの炊き込み味ご飯なのに。白米は糖分が高いからだ。それで否応なくほっそりとなってしまった。下腹なんかぺこんとひっこんでいる。肉が殺げ落ちて、ただでさえ皺皺なのに。ガラス戸に映る己は乞食のようだ。その上、品というものがない。七十年のふしだらな生き方が、我が身の影にまで暴露された結果だ。
ここは硫黄泉。白濁している。ミルク風呂かと思う。硫黄が臭う。露天に湯船が正方形に掘られている。すぐになだらかな丘になっている。合歓木がこんもりして花を着けている。壁を隔ててご婦人と幼いこどもの声が聞こえて来る。宿についてすぐに一度楽しんだ。夏休みに入っているのですしずめに賑わっていると踏んでいたのにそうでもない。ひとりをゆっくりのんびりできた。暑い日中に暑い湯につかるという納涼法。これもなかなかのものだ。ツツジ垣根の藪がかさこそ音を立てた。影が動く。山の小鳥が番で遊びに来ているようだ。空を白い雲がうっすら埋めて夏。奥に久住の山々。