これから久住山へ向かう。ここでしばらく滞在する。いつものように一人旅だ。樹陰の深い谷川に足を浸して読書にでも及べば快適。さて今また鑑真和上を偲んで、井上靖の「天平の甍」(文庫本)を読んでいる。軽快なサイクリング車を積んで行く。しかし、山坂を乗りこなせるかどうかは怪しい。行く行く、久住の白い雲より美しい天女が舞い降りて来て、一夜の同衾を申し出てくれる白昼夢でも夢むか。久住山に飽きたら、そこからさらに東へ向かうつもりだ。さぶろうを支援してくれるパトロンは望めない。だからこの納涼一人旅は途中あえなく潰えてしまうかもしれない。
ちちんぷいぷい。
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痛いの痛いの飛んで行けえええ。
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お母さんが、夏の虫に刺されて痛がっているこどもを、ちちんぷいぷいして宥めている。
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すると、不思議や不思議、痛いのは飛んで行ってしまうのである。こどもはけろりとなる。
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まやかしに決まっている。お母さんの唾をこどもの額にくっつけたくらいで、痛いのがとれるはずはない。はずがないのにそうなる。これがちちんぷいぷい。理屈ではない。
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おとなのさぶろうが、これを欲しがっている。でも、さぶろうのお母さんはとっくの昔に死んでしまってこの世にはいない。だから、お母さんの口の唾はもう望めない。だったらどうするか。代理母を頼むのである。依頼を引き受けてくれる人が、どっかには、いるはずだ。未解決を解決に導いてもらいたいのだ。人生のさまざまな棘が刺さっておろおろ泣いて痛がっているさぶろう。神鳴りさんが、よし、その役目はおれが引き受けてやろうと申し出てきた。雷名が聞こえて来た。稲光が走る。さあ、大空のちちんぷいぷいが始まるぞ。
空しく一生を過ごして、永劫(ようごう)に悔いを遺(のこ)すことなかれ。
臨済宗妙心寺派経典「宗門安心章」より
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さぶろうは空しく過ごしてばかりいる。空しく過ごしてばかりいるさぶろうにとって、この拳骨(げんこつ)は応える。鉄拳の制裁ほどに痛い。一生空しく過ごしていれば、当然、永劫に悔いを遺すことになる。
悔いを遺さないためにはどうすればいいか。答はその前段にある。「偏(ひとえ)に信心帰依の心を起こし、如説に修行をはげむべし」と。さぶろう、修行に励むべし。では、修行に励めるか。とてもとても。このぐうたらさぶろう、怠け者さぶろうにはできっこない。
そのまた前段には「いかでか歓喜(かんぎ)し踊躍せざらんや」ともある。そうか、修行とは歓喜し踊躍することなのか。禅堂に籠もって終日座禅に明け暮れること、行乞をすること、作務をすること、仏と向き合うこと、読経三昧すること、辻辻に立って、仏陀直伝の衆生救済説法をすること、これら難解難入の行のほかにもあったのか。いやそれにしてもやはりこれも難題だ。サンバを歌い踊るように、そんなに踊りたい気持ちにはならぬ。
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諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) もろもろ大小の悪をば作(な)すこと莫(なか)れ。進んでもろもろ大小の善を行え。自ら其の意を浄(きよ)くせよ。是れぞこれ仏の教うるところなり。
己の心を地獄にするな。己の心を浄土にせよ。仏教はそう教えている。
できるか、さぶろう。己の地獄を浄土に出来るか。悪いことをしないでいられるか。善いことを進んでやれるか。いずれもノーとしか言いようがない。教えの門の前までは来ても、そこから先には進めないで、すごすごと帰って行くしかない。
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永劫(ようごう)に悔いを遺したいか、さぶろう。しかし、これもノーである。悔いを永劫まで遺したくはない。では、仏教は遺さないでいい方法を提示しているか。一生を空しく過ごさない方法を提示しているか。提示しているはずである。「己の利己欲望に従って生きるのではなく、他者を利する仏の教えに従って生きる」という方法である。しかし、これがまた至難だ。さぶろうはここでギブアップするしかない。
庭の奥まった南隅、両隣の木々の茂みの間にぽっかり谷間があって、そこにアメリカン芙蓉が咲いている。草丈1・5mくらい。真っ赤だ。花房が4個。大人の握り拳大はある。谷間に木々の枝が伸びてきて遮っていたので、さっき外へ出て剪定鋏を使って枝打ちをしたら、はっきり見えるようになった。これでよし。書斎からよく見通せるようになった。距離はあるが、美しい人と向き合っている感じになった。風がない。美しい人は華やかさをはっきり発揮して揺れない。揺らぎもせずに、ぎらぎらした夏空からの日射しをそのカップに静かに受け止めている。いずれしかしこの一夏のことだ。短い命を生きていることに変わりはない。互の短い命をふたりはこうして見つめ合っている。そういう縮図がクローズアップされた格好だ。見つめ合ってどうするのか。その先はない。見つめ合ってその刻々をそこで完了するしかないのだが。
涼しいどの森影を通り抜けて来たのでしょう、いったい。さぶろうの鼻まで届いて来た夏風がふっとおいしい。そよろそよろ朝顔の蔓の先端が呼吸をしています。