8月2日。月曜日。8時半。早朝にぱらぱらぱらっと降っていた雨が、いまは上がっている。雨垂れが最大値になって、洗濯竿に幾つも垂れている。追加分が加わって来ないので、そこでじっとしている。
わしわしわしのワシワシ蝉があちらでこちらで鳴いている。湿度が高い。日が照ってこないから気温はそれほどに高くなっていない。
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今朝の僕の夢で、僕は近くの神社の祭神になっていた。悪い夢じゃなかった。仰ぐ側と仰がれる側が逆転していた。僕は明度を上げて、笑顔になって、しかもおごそかになっていた。
「神になる」なんて思想は、唯一絶対神信仰者からすれば、傲慢過ぎるだろう。だが、仏教はそれを薦めている。あなたが神になって仏に成って、衆生安堵、支援救済に加担して来なさい、と。
それが菩薩の思想である。あなたがみずからで観世音菩薩になりなさい、と誘ってくる。いつ、その立場に立てるかは不明だとしても、ゆくゆくその目標に立って進んで行きなさい、と。
東洋思想はそこが独特なように思う。あなたが太陽になりなさい、あなたが雨になりなさい、あなたが空になりなさい、あなたが風になりなさい、あなたが野に咲いている花になりなさい、といざなって来る。
己の幸福を願うだけのおねだりの宗教ではない。おねだりをするだけで終わらせない。そこを一歩突き抜けなさいといざなって来る。
わたしが近所の寂しい神社の祭神になっている、という設定がいかにも夢らしかった。交代制を取っているのかも知れない。ここらへんに住んでいる人は、みなそれぞれ神になってこの世を眺めてごらんなさい、と。
ご近所の神社の神になれば、ではいったい、まず一番に何をしたいと思うのだろう?