<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

今朝の夢はヘンな夢だった。近所の神社の祭神になっていた。

2021年08月02日 08時21分04秒 | Weblog

8月2日。月曜日。8時半。早朝にぱらぱらぱらっと降っていた雨が、いまは上がっている。雨垂れが最大値になって、洗濯竿に幾つも垂れている。追加分が加わって来ないので、そこでじっとしている。

 

わしわしわしのワシワシ蝉があちらでこちらで鳴いている。湿度が高い。日が照ってこないから気温はそれほどに高くなっていない。

 

 

今朝の僕の夢で、僕は近くの神社の祭神になっていた。悪い夢じゃなかった。仰ぐ側と仰がれる側が逆転していた。僕は明度を上げて、笑顔になって、しかもおごそかになっていた。

 

「神になる」なんて思想は、唯一絶対神信仰者からすれば、傲慢過ぎるだろう。だが、仏教はそれを薦めている。あなたが神になって仏に成って、衆生安堵、支援救済に加担して来なさい、と。

 

それが菩薩の思想である。あなたがみずからで観世音菩薩になりなさい、と誘ってくる。いつ、その立場に立てるかは不明だとしても、ゆくゆくその目標に立って進んで行きなさい、と。

 

東洋思想はそこが独特なように思う。あなたが太陽になりなさい、あなたが雨になりなさい、あなたが空になりなさい、あなたが風になりなさい、あなたが野に咲いている花になりなさい、といざなって来る。

 

己の幸福を願うだけのおねだりの宗教ではない。おねだりをするだけで終わらせない。そこを一歩突き抜けなさいといざなって来る。

 

わたしが近所の寂しい神社の祭神になっている、という設定がいかにも夢らしかった。交代制を取っているのかも知れない。ここらへんに住んでいる人は、みなそれぞれ神になってこの世を眺めてごらんなさい、と。

 

ご近所の神社の神になれば、ではいったい、まず一番に何をしたいと思うのだろう?

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川柳が初入選、今朝のN新聞読者文芸 川柳部門に。

2021年08月02日 08時04分15秒 | Weblog

幸福なわたしを星が見て光る       山鳩暮風

 

 

これは今朝のN新聞読者文芸川柳部門に載ったわたしの句。初入選だった。

 

甘すぎるかなあ?

 

 

そういう設定をしてみたかったんだよね。

 

幸福にしているかどうかは判定が不能。絶対判定がない。こちらの設定次第で、そう決まる。

 

きらきらと光っている星に見られているわたしがいる。それを絵に描いてみる。すると、そういう自分がとても幸福に見えて来る。

 

 

選者も、砂糖漬けのようなこの句を選ぶには一悶着があったことだろう。

 

でも、でも、この句を読んだ人は、きっと幸福な己を、この身に直感し得たのではないか。

 

なんだ、それくらいで幸福に浸れるのか、と思ったのではないか。そうなんだよねえ、夜、外に出て、満点の星を仰ぐ。星を仰ぐ幸福を得る。いかにもいかにもささやかなんだけど。

 

そしてその星々がわたしの幸福を静かにひそやかに願っていることを、少しだけ実感してみる。そういう思い込みだってできるし、してもいい。

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