だから、修行ができない、ということはない。何処でだって、どんな状況に陥ろうとも、人間修行はできるのである。
貧乏だからできない、能力がないからできない、病気をしているからできない、善人ではないからできない、ということはないはずである。
意図しようとすまいと、どのみち、修行中なのかもしれない。進むにしろ退くにしろ、どのみち。ゆるやかな。
悪行に堕ちていても、あるときそこから這い上がろうとするなら、それが修行に相当する。
「おれはいま修行をしているぞ」「すべての欲を絶つ」などと息巻くこともないのかもしれない。
生活をしていることが、おのずからにして人間修行になっている、とも言える。長い目で見れば、そうなるだろう。
そんなに悠長であっていいものか、と不安に思うかも知れない。やはり、勢い込んでするべきなのかもしれないけど。
緊張の糸は張り詰めていると切れてしまいがちだ。がきれてしまっては、長続きはすまい。
怠け者の老爺は、こういうふうに、すぐに怠け者の発想をしがちだ。いいことではない。