<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

地獄に落とす、そんなことをするのが仏陀ななかなあ?

2021年08月22日 18時42分12秒 | Weblog
おまえは悪いことをした。地獄に落とす。これはお前の悪の報いだ。

それじゃ、冷たいなあ。

そんなことをするのが仏陀なのかなあ?


それだったら、人間世界の法廷みたいだなあ。人間であってもできることだなあ。

それくらいの采配だったら、ことさら悟りを開いて仏陀にならなくたってできることだなあ。


仏教は因果応報を教えている。因果応報を受けるのは人間。その条件規定を度外視できるのが仏陀のお慈悲である。なぜなら、彼はもはや人間界を離れて仏国土の住人になって行くのだから。「かならず救う」この一点張りを貫徹するのが仏陀のお慈悲であるように、傲慢の僕は思う。
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「おれは果報者だった」と言って人生を締め括って死んでいけるかなあ、おれは。

2021年08月22日 18時12分03秒 | Weblog
「おれは果報者だった」って、昔、死んで行く人が言ってた。


「果報者」を辞書で引くと、ひとこと、「幸せ者」と出て来る。

「果報」を引くと、「因果応報」と出る。「前世の行いの報い」「業」とも書いてある。

「めぐりあわせのよいこと」「幸運」とも。


もっと詳しく知りたいなあ。

「おれは果報者だった」で死んでいけるかなあ。


善業は、善の原因を善の結果にもたらしたこと。

一生、善業を引き受けて生きていけた人っているのかなあ?

おれのことじゃないなあ。


人間に生まれたことそのものが善業だったってことかなあ。

その善業が、生きている間に、では、どれくらい減ってしまうのだろう?

積み重なったのは悪業悪業悪業なんだろうなあ、このおれの場合は。


だったら、死ぬときに、「おれは果報者だった」で通せなくなっているよね。


死ねるってことが善業の報いってことだろうか?


人は死んで行く。誰もが死んで行く。一人残らす終止形を打つ。打てない人はいない。

それが善業だっていうんだろうか?


果報を受けていなかったら、人を生きていくことはできなかった。もしもそういうことだったら? 

人を生きていけたのなら、じゃ、果報者だったんじゃないのか?


果報をわが果報として理解することは間違っているのかもしれない。

菩薩は、おのれの善業の果報を他者に振り向けることができる人たちのことを指している。他者に善業を振り向けて、己は他者の悪業を引き受けることができる人、それが菩薩だ。

そういう菩薩がいて、己に善業を振り向け続けたいたとしたら、「おれは果報者だった」という受け止めは正しい受け止めになる。


「おれは果報者だった」「生涯、無条件で、たくさんの愛情を独り占めにして生きてこられた」「助けられて助けられて助けられて来た」「有り難い人生だった」

そういう受け止めができる人が、昔は、いたのかなあ。


善業の報いという条件適合の人ってどれくらいいるのかなあ? その条件を外してもらっていないと、愛情をもらい受ける資格なんてないものなあ。

「無条件の愛」を慈悲っていうんだろうなあ、仏教では。仏陀の慈悲は徹底して無条件のはずである。

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泣きたくならあ。これまでたくさんの人に愛情を掛けてもらって来たからなあ。

2021年08月22日 18時00分28秒 | Weblog
泣きたくならあ。

可愛がってもらったなあ。

たくさんの人に可愛がってもらったなあ。

泣きたくならあ。


泣いて済ますことでもないんじゃないか、それって。

ここまで生きて来て、たくさんの人に遇ったなあ。


みんな僕にやさしくしてくれたなあ。

やさしくしてもらえるほどに、僕が上等だったとはとても思えない。

いまだってそうじゃないからなあ。下品(げぼん)下生(げしょう)の生き物をして暮らしているからなあ。


神々にも守護天使にも、菩薩にも明王にも、仏陀にも、しこたま愛情をもらったからなあ。

それを思うと、泣きの涙でいいんだろうけど、そんなにじゃぶじゃぶは泣いてないなあ。
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そろそろ人間を終わることになる。

2021年08月22日 17時41分55秒 | Weblog
そろそろ人間を終わることになる。

有り難かったなあ。

ともかくおれは人間をしたんだからなあ。


人間になりたくても、誰もがなれたわけではないんだからなあ。

選ばれて選ばれて、あらゆる審査に合格して、最終選考にも振り落とされないで、もちこたえてもちこたえて、人間ゴールインを果たせたんだからなあ。


そんなにまでして人間合格を果たしてみて、一生を過ごしてみて、ねえ、どうだった? って聞かれたらなんと答えようか? 僕はなんと答えるだろうか?

興味津々だね。


人間にしてもらったことを、僕は感謝するだろうか? それともそういう過去の事情なんかには無視してかかるだろうか?

それから後の、つまり誕生後にもらったさまざまな愛情交付や支援や協力や救助、どっさりどっさりのサポート体制に、どれくらい本気でお礼が言えるだろうか? 

すんだことには触れずにすますだろうか?


ともかくそろそろ人間を終わることになるね。ここまでの長い道のりで出遭った人たちもどっさりだったなあ。愛情を沢山もらったなあ。

その人たちにはどうやってお礼を言うんだろうなあ。それとも、そういうことには知らんふりして、なし崩しで終わるのかなあ。
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なんてったってかんてんたって、おれさまは愛の結晶なんだぞお。愛が物質化したものなんだぞお。

2021年08月22日 17時25分05秒 | Weblog
おれさまは愛の結晶なんだぞう


僕の川柳。落選した川柳。川柳にもなっていなかったのかもしれないな。


そうなんだそうなんだ、人はみな父と母との愛の結晶だったんだ。人間の愛はこうやってみごとに結晶をする。物質化する。

こりゃ、凄いことなんだ。魔法使いの魔法のようなんだ。

それがこのおれさま。怠け者だろうとよぼよぼだろうと無力無能だろうと、まちがいなくこのオレ様なんだ。最高最上の価値あるもの、なんだ。

「原子が規則正しく周期的に配列して造られている固体」「苦労や努力が実った結果、愛情が立派な造形になったもの」それを結晶と呼ぶ。

ああ、結晶の根源の父と母が恋しいよお。魔法使いの魔法を使って僕を結晶化させた努力の人、父と母が恋しいよう。
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頼まれて、宅急便を出しに行って来ました

2021年08月22日 17時06分06秒 | Weblog
怠け者爺さんはお昼寝をしました。とろとろとろとろ、と。

それから家内に頼まれてお遣いに行きました。

クロネコヤマトの宅急便に段ボール箱1個を出しに行きました。

カードを使ってクール便にしました。

いいえ、店員さんにみんなやってもらいました。車まで荷物を取りに来てもらって、運んでもいただきました。

他郷に居る我が子への愛情便です。家内がいろいろ、料理したもの、我が家の畑のものなど、どっさり詰めていたようです。

夕方5時を過ぎています。雨は上がっています。ナツアカネ(あるいはアキアカネ)が飛び回っています。
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勢いよく伸びた糸瓜の蔓が龍になっています。龍になって踊っています。

2021年08月22日 11時41分31秒 | Weblog
これだけの栄養分補給をどうやってのけているのだろう?

いやはや凄まじい元気さです。

糸瓜さんのことです。

大地が栄養補給を担当しているようです。

大地だけではないのかも知れません。空気も光も加勢をしていますから。

勢いよく伸びた蔓が龍になっています。長崎の興福寺の夏祭りの、青龍になって踊っています。
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あれこれの気づきが生まれます。

2021年08月22日 11時30分34秒 | Weblog
気づきが生まれます。

こうだったのかもしれない、ああだったのかもしれない、それにしてはいままでそれには無頓着だったなあ、横着者をしてたなあ、すまないことだったなあ、などと。

老人になっています。

若くないのです。意のままに動かせないのです。
助けてもらっていないと半人前の半人前です。
悔しいけど。


終日、よろよろよろしています。よぼよぼしています。

助けてもらってばかりなのに、その割には生涯、悪いことばかりして来たなあという後悔が生まれます。

羞恥するばかりです。
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年を取りました。体が言うことを聞きません

2021年08月22日 11時19分19秒 | Weblog
年を取りました。体が動けません。

補強する心を、その分余計動かさないと一人前になりません。

するとこころが化け物になります。

要注意です。


力が弱ると、それをカバーするように助けが入ります。

いやいやいままでも助けは入っていたのですが、それが見えていなかったのです。

傲慢だけが大きくふくらんで、自分の力を過信していただけなのですが。


年を取ると体力が落ちます。もちろん気力も落ちているはずです、よね。

そこに助けが入って、それをカバーしてくれています。

でも助けに入ったその助けをより多く感じるようになっています。


見えないサポーター、ヘルパー、介護者、助っ人が来てくれています。

お爺さんは、ありがとうありがとうありがとうを言うしかありません。
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気抜けが続いています

2021年08月22日 11時10分10秒 | Weblog
気抜けが続いています。

ぐっすり寝れば回復するかも知れません。


中央に「己はいい作品が書けたんだぞお」の残像が揺らめいています。

ほんとうにそうかどうかは分かりません。

今は片時、そのように洗脳されています。

後で、落選でしたのがっかりが待っているかもしれません。


気分転換を図って外に出ましょう。

さいわい、雨は上がっています。

低く低く燕が群れ飛んでいます。自力飛翔を楽しんでいる風です。
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