真実信心(しんじつしんじん)うるゆへに、すなわち定聚(じょうじゅ)にいりぬれば、補処(ふしょ)の弥勒(みろく)におなじくて、無上覚(むじょうかく)をさとるなり。
浄土真宗経典「五十六億和讃」より
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わたしはお寺のお坊様ではありません。修行もしていませんし、学問も積んでいません。
間違いだらけですから人様には説けません。わたし自身に言い聞かせています。つまりわたし自身が納得するように解釈をほどこしています。インチキです。読んで下さるみなさんはご自身で解釈をして下さいね。
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念仏を唱える者は阿弥陀仏から真実信心を賜ります。そこですぐさま定聚(じょうじゅ)になります。定聚とは「信心が定まって揺るがない人の集まり」です。
ここまで来ればもう弥勒菩薩と同等です。「補処」とは、今生のこの一回を補えば仏陀その人になってしまう人たち(=菩薩)のランクです。弥勒菩薩は、菩薩様です。この五十六億年を菩薩として過ごした後には仏陀になっておしまいになります。菩薩はいわばわれわれの苦界に下りて来て活動する活動部隊・救助部隊です。
真実信心を得たのですから、われわれは間違いなく仏陀と等しい無上覚(=仏陀と同じ最高最上の悟り)を悟ります。
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仏教は平等を重んじます。仏陀と平等になります。救済すると言うことはそういうことです。仏陀と等しくなるということです。つまり惜しげもなく全部お譲りになられます。
西洋の神様はそういう全委譲はなさいませんよね。仏教は違っています。何から何まで仏陀と同等同型同能力になるのです。凄いことです。
でもこれは僕の理解です。ほんとうのところは専門の仏教学者やお寺のお坊様にお尋ね下さいね。