三界は皆仏国也。十方は悉く宝土也。
さんがいはみなぶっこくなり。じっぽうはことごとくほうどなり。
日蓮宗経典「御妙判 御聖訓」より
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「三界」は、「欲界」「色界(しきかい)」「無色界」。ここにいるものはみな生死輪廻を免れ得ない。「三界は燃え上がる火宅に等しく、常に苦悩が絶えない。
でもそれがそのまま仏の国になっている。
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なぜか、そこに仏さまがおられるからである。
仏さまが法を説いておられるからである。
法を説いて守って、導いておられるからである。
欲まみれの衆生を救い出そうとして、仏の智慧を授けておられるからである。
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「十方」は上下左右。四方と四隅と上下。すなわちあらゆる場所、あるゆる方角。十方衆生世界・十方仏国浄土。
「宝土」は「清浄の仏の国=浄土」。「浄土」の対語は「穢土(えど)」すなわちわれわれのいるこの「苦界」。
苦界には仏がおられる。おられないでは、暗黒の苦界のままになってしまう。そこに仏の光が差し込んでくる。朝の光が差し込んできて明るくなる。するとすかさず一変してそこが明るい宝土になる。光の国の浄土になる。
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三界は皆仏国也。十方は悉く宝土なり。欲望の世界の三界にいながら、そこに仏の光が差し込んで来る。そうすると仏智を頂くことができる。頂いた仏智の眼で見れば、十方の悉くが宝の山、宝の国=仏国土であることが理解できるようになる。
仏教は明るい理解を促して来る。この暗い顔をした人間に、明るさを促して来る。
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この経典のこの偈のところに来れば、このお爺さんはにたりにたりになる。嬉しくなる。そこまでの設定が嬉しくなる。この宝の仏国土に、このお爺さんが生きていていいのである。嬉しいはずである。