<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

嬉しいはずである。

2021年08月12日 10時22分06秒 | Weblog

三界は皆仏国也。十方は悉く宝土也。

さんがいはみなぶっこくなり。じっぽうはことごとくほうどなり。

日蓮宗経典「御妙判 御聖訓」より

「三界」は、「欲界」「色界(しきかい)」「無色界」。ここにいるものはみな生死輪廻を免れ得ない。「三界は燃え上がる火宅に等しく、常に苦悩が絶えない。

でもそれがそのまま仏の国になっている。

なぜか、そこに仏さまがおられるからである。

仏さまが法を説いておられるからである。

法を説いて守って、導いておられるからである。

欲まみれの衆生を救い出そうとして、仏の智慧を授けておられるからである。

「十方」は上下左右。四方と四隅と上下。すなわちあらゆる場所、あるゆる方角。十方衆生世界・十方仏国浄土。

「宝土」は「清浄の仏の国=浄土」。「浄土」の対語は「穢土(えど)」すなわちわれわれのいるこの「苦界」。

苦界には仏がおられる。おられないでは、暗黒の苦界のままになってしまう。そこに仏の光が差し込んでくる。朝の光が差し込んできて明るくなる。するとすかさず一変してそこが明るい宝土になる。光の国の浄土になる。

三界は皆仏国也。十方は悉く宝土なり。欲望の世界の三界にいながら、そこに仏の光が差し込んで来る。そうすると仏智を頂くことができる。頂いた仏智の眼で見れば、十方の悉くが宝の山、宝の国=仏国土であることが理解できるようになる。

仏教は明るい理解を促して来る。この暗い顔をした人間に、明るさを促して来る。

この経典のこの偈のところに来れば、このお爺さんはにたりにたりになる。嬉しくなる。そこまでの設定が嬉しくなる。この宝の仏国土に、このお爺さんが生きていていいのである。嬉しいはずである。

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スマホには大雨警報が流れている。

2021年08月12日 09時55分38秒 | Weblog

雨は止みそうにない。降り続いている。

カンカン照りの日には雨が待たれる。土砂降りの日にはお日様が待たれる。

こちらは大雨避難警報がスマホに流れている。よく降るなあ。

家の中に籠もって、雨を眺めているしかない。

外に出て働いておられる方はそうもいくまい。

ズブ濡れで働いておられる方もおられよう。レインコートから雨が漏れて、暑苦しかろう。

おおおお、甲子園の高校野球は小雨を突いて行われているようだ。

 

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あなたに何があったのですか?

2021年08月12日 09時17分02秒 | Weblog

ピンク色のシューズが空に投げられた あなたに何があったのですか      

薬王 萌(これはずっと以前に使っていたペンネーム)

いつも何かが起こってる。誰にも。「あなたに何があったのですか」と問われることもなく。次々と。

 

人はその事後処理に追われる。処理不能のこともある。どうしていいかわからなこともある。

 

幼い人にも、老いた人にも。働き手にも、働けなくなった人にも。不幸と不運が舞い降りる。もちろんその裏の幸福も幸運も。

 

 

華やいだピンク色のシューズが空に投げ上げられた。真夏の公園で見たのはそれだけで、背景はいっさい分からない。

僕のこころのカメラがシャッターを切った。それを歌にして貼り付けてみた。

いいことがあったのかもしれない。気に染まないことが起こったのかも知れない。苛立っているのかも知れない。誰かに別れてきたのかもしれない。失望を覚えたかも知れない。その反対だったかも知れない。

 

 

「あなたに何があったのですか」とわたしもあなたに声に出して問うことはしない。干渉を憚った。こころの片隅でそっと呟くだけで。そしてそっとその人の顔を伺ってみた。

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りきまなくてもいいよ、でも。

2021年08月12日 07時28分17秒 | Weblog

体解大道 発無上意         三帰依文

大道を体解して、無上意を発(おこ)さん。

仏陀が説いた「大いなる道」があることを生活の中でしっかり体得して、この上ない仏の悟り・仏の智慧に近付いていこうという一大決心を、この世を生きる一人一人に、己を含めた一人一人に促して行く。仏道を歩む者はこの願いを持つ。

力まなくていいよ、でも。自力は1分。後の残りの999999分は他力なんだから。

つまり、そのように導かれて行くだけだから。

導かれて行く大いなる道がずっとずっと続いているんだから。

安心してていいんだよ、だから。仏道は安心の道。安心に座(いすわ)る道。

大いなる道といふもの世にありと思うこころのいまだも消えず

妙心寺の管長をされた方のこの歌を思い出した。大病をされて明日は死ぬと覚悟をされていたときの歌らしい。そのときに、爽やかな風が吹いてきたらしい。風は己を捨てていなかったという事実をそこで感得されたらしい。「大いなる道」を吹いて来る風が教えてくれたらしい。

われらが暮らす地上に、「大いなる道」がある。そこへ至り着かせようとする仏の「無上意」がある。その中心にこの己がいる。

これでもまだ不平があるか。

あるという傲慢な己がいる。困ったもんだ。

美味しいものを喰いたいという己がいる。贅沢をしたいという己がいる。もっとやさしくしてくれる人に遇いたいという己がいる。もっともっと幸福になりたいという傲慢な己がいる。

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「おまえは好かん、おまえには喰うてもらいたくない」とは言わん。茄子も胡瓜も。

2021年08月12日 06時21分36秒 | Weblog

目覚めました。さあ、出航です。

わたしが目覚めるのを待っていた一日が、始まります。一日は舟。舟にわたしを乗せて外洋に漕ぎ出します。

舟は大船ですから、安心をしています。おまかせをしています。

「まかせる」の漢字は、「信」。「信じる」ことは、そっくりまかせてしまうことかもしれない。

つまり、文句を言わないで。不平を鳴らさないで。不満をかこたないで。

できることなら「ああ、いい気持ちいい気持ち」で。惚れ惚れと。頂いた一日を最高の一日にして。称賛を送って褒めあげて。

妙好人(みょうこうにん)源左爺さんが、田圃仕事から、ズブ濡れになって戻って来た。近所のお百姓衆が、今日こそはあの爺さんもブツクサ言うだろうと心待ちにしていたら、源左爺さんは、「鼻が下を向いておったのでよかったなあ。おかげで、雨の中でも息ができた。ありがたやありがたや」と呟いた。何にでもそこに明るいもの、嬉しいもの、安心の勝機を見いだす名人だった。

うううん、しかし、このおれは、そんなことはできっこないなあ。

このおれは二枚舌のゴロツキ。口と心が違うことを喋る。どう見ても信用がならん。日常茶飯、ぶうぶう不平不満を列べてるわい。

それもよし、か。

「それじゃいかん」「おまえは気にくわん」「そんなおまえの前にはおりたくない」と山は言わん。空も言わん。

「おまえには喰うてもらいたくない」とは言わん、我が家の畑の茄子も胡瓜も、オクラもトマトも。

今日は一日、雨らしい。しかも豪雨だ。

昨日も警報が鳴らされていた。スマホに市役所から避難準備の一方が流れて来た。

これでダムの貯水量が回復をしただろう。ニュースでは、嘉瀬川ダムの貯水量が、28%にまで下がっていた。

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