<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

春の賑わいを賞でているのは花虻

2015年04月25日 10時34分52秒 | Weblog

ここまで来るともうさぶろうは変態をあやしまれてもおかしくない。珠子が来そうで、そういう予感がしてならないのだ。珠子はさぶろうの春の庭を愛でにやって来る。きっと来る。空から降るようにしてやって来る。さあ、はやく。寝間着を脱いで着替て、玄関に立って出迎えねばならない。予感がさぶろうを急き立てている。

山鳩が金木犀の茂みに巣を作り始めたようだ。カップルが藪を出たり入ったりしている。それから木に登った雨蛙が鳴いて、明日の雨を知らせている。げっこげこげこ。それっきりだ。珠子の影もない。赤白まじりのテッセンが一度に咲き出したので、この賑わいを愛でているのは花虻である。

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なかなか飽きが来ない

2015年04月25日 10時29分56秒 | Weblog

わが畑で蕗を摘んできた。片手に余るほど。100円ショップで買ってきたビニール手袋をして、ベランダに来て、筋剥きをした。灰汁があるので手袋は忽ちに変色した。これが今夜のさぶろうの、酒の肴になる。出汁の素だけで炊くのだがこれがあっさりしておいしい。もう幾日これを食しているだろう。なかなか飽きが来ない。

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口より垂れる粘液の思慕

2015年04月25日 09時35分28秒 | Weblog

珠子に会いたい。珠子は今日は虚空。虚空だからそこに見えている。見えているからといっても、手を挙げても珠子が掴めるわけではない。近いようで果てなく遠い。だからなお思慕が募る。募ってかすかになって、透明な思慕だけになってしまう。思慕は示現を求めて糸を吐く。繭の思慕になる。思いを紡げば紡ぐほどに繭は白くなる。白く白くなる。忍ぶ恋のようにふっくらして円くなる。目を覚ませ、さぶろう。妄想の捕虜になるな。さぶろうの妄想を石で打て。打って、打ち破る。妄想は居所をなくして一気に拡散する。しかし、向かうところは珠子のいる虚空だ。ここで雲になる。虚空の一点の白い雲になる。雲になったさぶろうが、やさしい珠子の虚空にやさしく包まれる。

思慕の繭 繭透明のはかなさの なおもやさしきひとをこそ思ふ

人思(も)ひてかなわざるとき思(し)は小石 春の小川のさらさら晒す

だらだらの牛の唾液の透明の 口より垂れる粘液の思慕

少年の頃、恋を恋したことがあった。老人になってまたこれだ。ふかふかしたもの、あたたかいもの、やさしいもの、好いてくれるもの、肯定をしてくれるもの、そういうエゴの感情に呼び覚まされる。おのれの内側にあるこの甘い、芳香を放つ感情が、老人になってどぶろくの濁り酒を造る。珠子がいるわけがない。それでいいのだ。甘い感情の酒を飲んでいれば、当分はそれで足りているのだ。

 

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ふらりふらり 旅に出たいなあ

2015年04月25日 07時45分01秒 | Weblog

おはようございます。お空の色がいいです。いいです。朝の空と向き合っているだけで幸福を感じます。無風のようです。ほっそり伸びたアスパラガスだって揺れません。光が東から横様に照らして木々の若葉を濡らしています。

今日は4月25日、土曜日。4月が残り少なくなりました。あちこちで鯉のぼりが泳いでいます。昨日は日ノ隈公園の堤(つつみ)の岸に、山藤が並木を為して青紫に垂れていました。あまりにも美しいので車を止めていっときうっとりして過ごしました。

深めのプランターで育てているジャガ芋がそろそろ花を着けます。蕾が見えます。元気がいいです。ああよかったなあと思います。玉葱作りは今年は失敗しました。玉がまるっきり太らずまるでラッキョウです。葉っぱにばかり栄養がいってしまったようです。茎と葉っぱは見事です。

今日は遊んでくれる人もいないので一人で種蒔きをします。不断草やチンゲンサイ、小松菜の種蒔きです。除虫薬を撒いておかないと発芽した途端に虫に食われてしまいます。春に蒔いたブロッコリーはぐんぐん成長して40cmほどになっていますが、青虫が来て喰い漁っています。見つけ次第抓んで踏みつぶしますが追いつけません。一人の農作業も楽しいです。農作業と行っても、幼稚園児の砂遊びくらいのスケールです。

お金がたんまりあったらなあ。10日間ばかり旅をして回りたいなあ。泊まる宿が高いです。1泊1万円ではききません。行ったことがないところへ行きます。今回は裏日本の海岸沿いを走って、兵庫県の城崎温泉あたりを目指していけばいいだろうかなあ。一人はさみしいですけど、行くとなるといつも一人で行きます。一人だと喧嘩をしないで済みます。まだお金の算段がつかないでいます。借金をして行けば行けます。元気なうちでないと、たとえばいくらお金を貯め込んでいたとしても、旅には出られません。

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ほろ酔い気分

2015年04月24日 17時55分54秒 | Weblog

芋焼酎25%をお湯割りで呑んでほろ酔い気分。ああ、いい気持ち。陶器の湯飲み(やや大きめ)で一杯だけ。肴は蕗の料理。おいしい。朝昼晩食べても飽かない。肉類では炊かない。出汁の素のみだから、あっさりしている。後はお風呂に入って寝るだけ。体の蝶番(ちょうつがい)が外れてだらりとしているので、もう起きてはいられない。でも、夜中に3度~4度は目が覚める。眼が開かないままでダム放水をする。それからがしかし眠られなくなる。仕方がないので、読書タイムとなる。読経をしたり瞑想したりマントラを唱えたりもしている。寝たままの姿勢で軽く矢山式気功体操もする。朝方また眠くなる。お風呂に入ったままでも瞑想を楽しむ。今日までを元気で生きてこられたことに感謝をする。今はYouTubeでsolfeggio harmonics 528hz miracleを静かに聞いている。

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作詞した校歌の音楽を聞く

2015年04月24日 17時20分38秒 | Weblog

小中一貫校「玄海みらい学園」の校歌を聞かしていただきました。玄海町の教育委員会の方から連絡を頂きました。さっそく「玄海教育テレビ」で検索をしました。落ち着いたいい曲になっていました。YouTubeで楽しみました。作詞を担当させていただきました。見事な新校舎です。お招きを頂いた本年四月の開校式には、あいにく用事が重なって、行けませんでした。歌を歌っているこどもたちにも会ってみたいです。玄海みらい学園の末永いご発展をお祈りいたします。有り難うございました。

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虫に食いつかれてしまった

2015年04月24日 16時39分14秒 | Weblog

午後から作業着に着替えた。落花生の種を小さなポット(4列x5列の20個)に埋めて、如雨露で水撒きをした。発芽を待つ。作業時間30分間。ああ、楽しかった。それから、三尺ササゲ豆が上っていけるように棚を拵えた。これも30分間はかかった。枯れ草の上に尻を置いて紐で固定する作業をしていたら、手の平をダンゴムシの大みたいな虫に食われてしまった。鋏で切られたような痛みがした。ダニだったかもしれない。気持ちが悪くなって、急いで服を脱ぎ捨て、裸になって、他の部位に吸い付いていないか点検をした。春はみな生き物が活動をする時節だ。ぼんやりはしていられない。

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春の大空は宇宙のこころの宝珠

2015年04月24日 08時46分30秒 | Weblog

如意は宝珠(treasure)である。摩尼(サンスクリット語でmani。宝玉宝珠の謂。わがこころ、意を指している)である。摩尼は濁水を清く澄ませる不思議な働きを働かすので、さぶろうには不可欠である。説法をする導師が錫杖形の法具を振り回して、「これを見よ」といった具合にして見せる。「汝等一人一人の己の中にもこの如意宝珠(心という珠)があるぞ。この宝珠を無駄にせず、煩悩の濁りを澄ませ」と言って勧進する。不思議な働きを働かすのでこれは宝の中の宝である。首に懸けたり念珠として両手に握ったりもする。孫悟空は如意棒を身から離さない。これで宙を飛ぶ。如意(意のままになるもの)だからなんでもできるのだ。魔女は箒を如意珠にしている。宝珠は桃の実によく似ているから、桃を食べる者は仙人となる。落下寸前の雨垂れもこの宝珠の形をとる。橋の欄干にも、寺院の階段にも、この宝珠が上向きに刺してある。

我が心は如意である。摩尼である。宝珠宝玉である。心を悪に染めて是を見ればそこに悪が結実するし、心を善に染めて是を見ればそこに善が結実している。染めているだけで心そのものは清らかに澄み切っている。不染不執着である。この澄み切った春の大空は宇宙の心であり、宇宙の宝珠(treasure)である。

 

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よき循環がすべてよくなされた

2015年04月24日 08時15分36秒 | Weblog

ウンチが出た。ウンチの元は食べた食べ物。消化器官をぐるぐるぐるっと経巡って、栄養分だけを吸収して、その残滓が直腸に送られてきて、しばらくいるうちに固形になって、肛門から廃棄された。トイレでウンチさまに有り難うを言う。役割とすべきことをすべてやり終えてくらたことに感謝する。黙々とただ黙々と、(彼らにとっての)偉大な旦那さま(さぶろうのこと)にお仕えしてますますその偉大さを高める努力をしてくれた労をねぎらう。さぶろうが彼らの願いを果たしているかどうかは不問にしておこう。それから悪臭を放つようになったウンチさん(そう仕向けたのはさぶろうの元気維持機構)を拒否せずじっと抱え込んでいてくれた細胞さん血液さん肉さん骨さん皮膚さん、ホルモンさん神経さん、脳指令さん、体内組織の諸元素のみなさんにも感謝をします。さぶろうの体内ではすべてのよき循環が、今日も滞りなく、よくなされました。

 

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童謡「紋付き鳥」ができあがる

2015年04月24日 07時25分33秒 | Weblog

おはようございます。お変わりありませんか。昨日、さぶろうがこのブログで書いた童謡「紋付き鳥」が出来上がりました。作曲を申し出て下さった方が二人で我が家を訪ねてきて下さいました。CDにしてありました。柔らかいいい童謡を聞かせていただきました。有り難うございました。綾部神社の門前にあるぼた餅屋さんからぼた餅を買ってきて振る舞いました。作曲料も支払いませんでした。五線紙を置いて行って下さいました。ここでそのコピーをしてみなさんにも歌っていただけたらいいのですが、さぶろうにはそれをここに載せる技術がありません。もっと工夫していい作詞をするべきだったとそれが悔やまれます。長期に亘って歌を練り上げて下さった作曲方の善意に感謝します。有り難うございました。

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