<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

明日はそれからの草鞋をつけて歩く

2016年04月29日 07時49分57秒 | Weblog

けふはここまでの草鞋(わらじ)を脱ぐ       種田山頭火

よく歩いた。長い道程だった。途中の醤油屋の垣根には鬼百合が咲いていた。それも見た。牛が水浴びをしていた。農夫と一緒に川へ入って。牛が嬉しがって鳴いた。それも聞いた。脹ら脛が凝っている。くたくただ。今日はここまででいい。ここまでにする。草鞋の紐を解いて脱いでどっかり座り込む。ゆっくりする。道はどこまでも続いている。慌てることはない。急いでいかねばならないということもない。永遠へと続くのだ、この道は。いのちの道は。意識するとしないと関わりなく、目標を人は持って歩いている。そこへ到達すれば人は完成して仏陀と成ることが約束されている。でも今日はもう日暮れた。夏蝉の声がまだ聞こえている。まずは汗を拭こう。草鞋を脱ぐと今日が終わる。肉体を脱ぐと今生が終わる。ここまででいい。ここまでにする。進んで行く道が消えるということはない。ブッダまでの大きな堂々とした一本の道である。

明日はそれからの草鞋をつける

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そんなに威張ってなくちゃならないのか

2016年04月28日 10時08分08秒 | Weblog

ほんとに威張らなくちゃならないのか。誰に? 誰かに。威張るとどうなるのか? 気持ちが良くなる。ストレスが発散できる。ヘンな笑いが出る。

強いといって威張る。立派なことをしたと言って威張る。正義を貫いたといって威張る。にやりとする。

お金持ちだからといって。賢いといって。これだけの業績を残した、戦果を上げたといって豪語する。わざとわざと大きな顔を作る。褒美を高く掲げて見せる。美人をしているといってつんつんする。それで鬼の顔を見せて威張る。

威力権力に従えといって威張る。行政の力を背景にして威張る。地位と肩書きを示して威張る。国の名を騙って威張る。神の名を騙って威張る。

威張るのが大好きなのだ。従わなかったら痛い目に遭うぞといって今度は脅しに掛かる。平伏させる。平伏しない者は無礼打ちになる。恐ろしい世の中だ。

でも、ほんとにそんなに一方的に威張らなくちゃ生きて行けないのか。人に莫大な犠牲を強いてしか暮らしていけないのか。そんなに弱虫なのか。威張る材料も道具も持たないでいる人はどうして暮らしたらいいんだ。

一人の内に安住していることはできないのか。どっかり不動の山をして静かに美しく寡黙にして座ってはいられないのか、神に似せて造られた尊い存在という位置づけの人間というのは。

小人つらのさぶろうが威張っている。威張ることなどなんにもないのにそれでも威張っている。毛虫を踏みつけている。烏を追い散らしている。人のそれを借りて来て威張り散らしている。威張っていなくちゃ損だ。生きていることにならないと思い違えて鼻息を荒くしている。もうすぐ一生を終わるというのにこれだ。まったく無様だ。

ツツジの根元に蝶を網にかけて捕まえた蜘蛛がいる。春の嵐が荒れるたびに蝶が揺れている。だが威張る表現の具、文字言葉がないからそんなに威張っているふうには見えない。

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完成者ブッダへと続く道にも春の雪

2016年04月28日 06時42分43秒 | Weblog

この道しかない春の雪ふる       種田山頭火

ほかにもあっただろう。歩いていく道は。此処以外の道を歩かねばならなかったかもしれない、もしかしたら。もっと厳しいもっと過酷な、もっと貧しい、もっと苦しい。己は生き恥をさらす悪人罪人である。その己がこの道を歩いている。青い山に分け入ってそこを出ると畦道には薊とキンポウゲが咲き出している。ここに春の雪が降って来る。やわらかい雪だ/だがそれも、肩に止まってすぐに解け出してしまった。昨夜己はまたもや大酒を喰らった。そしてあろうことか酒女を口説いていた。求道者にはあるまじき振る舞いだった。羞じて恥じながらもこの道。これが己の歩いていく道か。

これはさぶろうの勝手気ままな嘘解釈です。読者の方は読者の方で読み解いてみてください。

この道しかない。人は一人残らず求道者である。道を求めて歩く者である。道を踏み外しながら歩く。幾度も幾度も道を逸れながらそれでも道へ戻ってきて道を歩く。この道が完成者ブッダへと続く道である。この道しかない。この道を与えられている。

しかしそうでありながら、それがときおりゆらゆら揺れる。ブッダへの信頼信念が揺れる。そして吊り橋を行くような不安定さに身をゆだねることがある。そこへ春の雪が降って来る。雪のこころに埋もれていると熱い涙があふれて来る。

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詩「ブランコ」

2016年04月28日 06時27分56秒 | Weblog

確実って案外不要品に近いかもしれない/あの人に好かれていることは確実でなくてもいい/好かれているかもしれないし/好かれていないかもしれない/それくらいがいい/ブランコのようにそれが揺れているのがいい/そうすると僕はブランコに乗って揺られることができる/それを青い空まで揺する/好かれたいのに/好かれたいことをしない/ちっともしない/それはどうして?/ブランコに乗って揺られたいから?/そうかもしれない/居心地だけがいい確実/それが好きじゃないのだ/そんな種類のへんてこりんな僕なのだ/あの人が赤いサンダル履きで走ってやって来た/首に巻いたスカーフが風に靡いている/

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いまのわたしと同じ色をしている

2016年04月28日 05時54分07秒 | Weblog

わたしが素敵だったから誘ってもらった/だなんて/思うのは/不謹慎?/横着すぎる?/自信過剰な嫌な人間?/そうかもしれないね/

これはセルフリライアンス/自己信頼とはちょっと違うのかな?/違いそうだ/わたしは目元に皺を寄せる/ひとしきり悩む/

わたしをここへ誘(いざな)ってもらったという事実は/しかし/動かない/

素敵だったから誘ってもらったのなら/わたしは素敵にしていなければならない/誘われたとき以上に素敵にもしていたい/

わたしがここに生まれて来ている/水と空気と光がある星に来ている/そしてそれはどうしてだったのかなと考えている/

青い空を見ている/突き抜けるように高い高い空を見ている/そしてそれはどうしてなのかと考えている/それができるのはどうしてなのかなと考えている/

わたしがそのときに素敵だったかどうか/ほんとうのところは分からないが/ともかくわたしは此処へ誘われて導かれて来たのだ/

わたしは手を挙げて満面の笑みを浮かべて誘いに乗ったのだ/それを思ってみる/

それを思っているのも素敵な時間である/不思議な時間である/神さまに誘われるほどにわたしが素敵だったときがあったのではないか/そんなことを思い起こさせてくれる時間/しばらく此処にいる/この居心地の良さはどうだろう/

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2016年5月28日/午前6時25分/庭先に姫林檎の花/花房がピンク色をしている/いまのわたしと同じ色をしている/

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誘われるに足る素敵なわたしであったことが嬉しい

2016年04月28日 05時34分07秒 | Weblog

朝が来ている/嬉しい/朝が来ても嬉しく/昼が来ても嬉しく/夜が来ても嬉しい/嬉しさが連続している/わたしのために嬉しさが連続している/それをわたしが知る/それをわたしが受け取る/朝が来ている/ただただわたしを嬉しがらせようとして/まず一番に朝がわたしのところに来ている/春菊の黄色い花たちが朝風に揺れている/ここちよげにからだを揺らしている/さあここへどうぞとわたしを誘っている/花たちに誘われるにたるだけの素敵なわたしであった/嬉しい/今度は東の方角から明るい朝焼け空が誘って来る/それにも笑い顔を向ける/ただただわたしを嬉しがらせよう嬉しがらせようとしている多くの多くの意思たち/彼らが連続して待ち受ける此処/わたしが生きているこの世界//此処はいったい何処なのだ/

 

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わたしに固執することがなくなったら

2016年04月28日 05時02分52秒 | Weblog

もっともっともっとと思う。もっともっと生きたい。そう思う。元気でいたい。健康でいたい。あれこれ動き回って、さまざまに活動をして楽しみたい。

でもね、そうもいかない。それを予感する。いずれ死んでしまう。人である以上は。これはなんぴとも免れない。

人である以上は? だったら人でなくなればいいのだ。そう。人は肉体をしている。肉体を脱いでしまえば? もう死ななくてすむようになる。

肉体を脱がないでそれができないか。できる。死後でなくてはならないことはない。生きている内に永遠を勝ち取ることも出来る。これが現世成仏の思想だ。現世で安心を得ることだ。生命そのものは永遠だからである。

生き死にはその現象の泡だちに過ぎない。だから、生き死にそのものに全体重を乗せておかねばならないと言うこともないのだ。こうして解脱ができる。生き死にするという囚われから解き放たれる。

人から解き放たれる。すると? わたしはわたしたちになる。全体意識になる。神々と一つになる。大宇宙のダンマと合一する。わたしは大宇宙となる。わたしの中に大宇宙が展開をするようになる。

もっともっともっとと思う。もっとこうしていたい。生きていたい。青い海と空と緑の山と黄色い菜の花と赤い夕焼けを見ていたい。そう思っている。まだそう思っている。欲望の火の山が噴き上がって夜空を赤く染めている。

これまでそうしてきたのである。全部が叶っていたのである。願いがその場その場で成就をしてきた。だからもうすぐ完了のときを迎えてもいいのである。わたしはわたしを楽しんだのである。十分すぎるくらい楽しんで来られたのである。

次の人にそれをお譲りしたらいいのである。その人がわたしの立ち位置に来て座る。豊かな人生を送る。人に生まれて人を生きていることを楽しんでいる。それでいいではないか。それでいい。わたしに固執することはない。それをにこにこして見ていればいいのである。護って助けて導いていればいいのである。

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わたしに固執することがなくなったら、そこをするりと抜けて出られるのだ。次の世界に出て行けるのだ。次の新しい次元に進んでいけるのだ。そこではそこの楽しみがあって、今度はそれを楽しむように誘われる。そうする。こうすることでわたしはもっともっともっとゆたかになっていくのだ。かがやいていくのだ。

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睡魔に襲われる

2016年04月27日 21時03分37秒 | Weblog

今日は畑仕事もしなかった。サイクリングにも行かなかった。さぶろうの調子がいまいち上がらなかった。

雨が降っていたのでどうしようもなかったのだ。その代わり雨のドライブをした。往復80kmくらい。帰りがけに睡魔に襲われてしまって困った。43度の熱い温泉に浸かっていると身心が豆腐になった。これが誘因だったかも知れない。目が潰れてしまいそうになる。これじゃ事故を起こして仕舞いかねない。さぶろうはビンタを張った。何度も何度も。左手で左の頬を。右手で右の頬をバチバチ叩いた。それでもなかなか眠気が引かなかった。

思い切って車を止めて外に出た。小雨の中をしばらく歩いた。これで改善した。家に着く間近のところで、しかし、また同じくらい強度の睡魔が襲った。これには耐えに耐えた。帰宅したらそのまま炬燵に寝転んで熟睡することになるだろうと思っていたのに、いざ帰宅したらこの予想は外れてしまった。危うい危ういという状況が睡魔には好都合だったのであって、そうでなくなると途端にそれは不活発になってしまったようである。眠っていいときには眠気はとれてしまうもののようだ。眠ってはいけないいけないというこの緊張感が睡魔の温床だったようだ。

今日は畑仕事をしなかった。いつもしていることをしないと不満足ぎみだ。サイクリングもできなかった。明日の天気予報はどうだろう。晴れたら一番に納屋から自転車を引きだして来て、野原の春風に吹かれながらペダルを漕ぐことにしよう。たったこれだけでさぶろうは怪気炎が上げられるのだ。

 

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オオムカデを溺死させる

2016年04月27日 17時34分15秒 | Weblog

溺死させた大きなムカデを庭に投げておいた。すると翌日、朝そこへ言ってみると遺体は消えていた。生き返ったのかもしれぬ。小鳥が目敏くこれを見つけて啄んでいったかもしれぬ。このムカデは、夕方、移動させようとした牡丹の鉢の鉢底に潜んでいたのだ。一気に殺してしまえばよかった。八つ裂きにしておけばよかった。それをそうしなかったのは、地蔵菩薩がついている杖の鈴である。杖には頭に鈴がついている。歩く度に鈴が鳴るのだ。すると地を這う生き物が逃げて行く。逃げて行けば殺生をしないですむのだ。仏道は他を生かし己を生かす、この道だ。それをふっと思って八つ裂きに出来ず、水を満たした大盥に投げ込んだのである。ムカデは泳げない。しばらくしたら盥の底に沈んでしまった。そこまでを見届けて彼はそれを大地に水ごと放り投げたのである。甦生したのかもしれぬ。それならそれでいい。小鳥が啄んだのなら小鳥を生かすことになったのだ。しかし、彼は我が身の殺生罪を逃れたわけではなかった。良さまは懐の中に蚤虱を飼っておられたという。夕方になるとそれをまた己の懐の中に返されたのだ。この徹底はさぶろうにはできないことであった。彼は何事につけても中途半端な男だった。

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おれの生き方は間違いだらけだった

2016年04月27日 17時21分36秒 | Weblog

悔いるこころに日が照り小鳥来て啼くか    種田山頭火

日が照っていようと雨が降っていようと悔いるときは悔いる。おかまいなしだ。小鳥が山から来て啼いて慰めても慰まない。しんしんと悔いる。悔いによって腹の底までが冷える。五月の山の山道を辿っている男の笠に木漏れ日が降って来る。日は腹にも届く。こころにも届く。冷えた腹とこころがこれで幾分かはあたたまる。あたたまると涙がじわりじわり堰き上がってくる。おれの生き方は間違いだらけだった。改悛が湿潤の泥田を為してぬかるむ。

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