■来年4月13日の安中市長選挙の投開票日まで、あと125日となりました。3選目の出馬宣言は、恒例により1月3日の岡田義弘後援会事務所の看板を掲げた市内の安中土木事務所の南側にある牧草小屋兼選挙事務所で行うものと見られています。この機会に、一人でも多くの支持者に来てもらいたいという思いを募らせている岡田市長は、とうとう隣接土地との境界線を数十センチ越境してしまいました。隣接地権者から説明を求められた岡田市長は公約の説明責任を果たすどころか、問答無用の実力行使を正当化しようとしており、3期目の安中市政がますます独断と偏見に満ちたものなるのではないかと、心配する市民も多いことでしょう。

↑一見、土木作業員と見まごうほど板に付いた出で立ちの岡田義弘・安中市長。なぜ、こんなところで、こんなことをしているのかは、本文をご覧下さい。↑
平日でも公務そっちのけでスコップをふるっている岡田市長ですが、それでは、あと4週間後に迫った出馬表明のセレモニーに間に合わないと思ったのか、週末も現場で作業を開始していました。

↑11月30日(土)の夕方の時点では、U字溝を逆に伏せ終わり、1段目の側溝フタを並べ始めていた。↑
■隣接地権者が12月7日(土)の午前11時に現場に行ってみると、一生懸命、側溝のコンクリート製の古敷板を、逆さまに伏せたU字溝の上に並べ始めていました。昼ごろまで一人で作業をしていましたが、要があるらしく軽トラックで家に戻っていきました。
翌12月8日(日)は、隣接地権者が午前8時に現場に行ってみると、既に岡田市長の作業着姿がそこにありました。自分の甥といっしょに現場で一心不乱に作業をしていました。

↑日曜日の早朝8時には既に現場で一心不乱に作業中。↑

↑市政のことよりどうやって石積み工事をやろうかと思案する岡田市長。↑

↑土地所有者の甥に側溝の中古フタを運ばせ、親族同士で手分けして作業する土地管理者の岡田市長。↑

↑朝日を浴びながら工事の手順を練る岡田市長。↑
その後、奥に積んであった中古側溝フタの移動を甥が終えた後、岡田市長はしばらく午前11時ごろまで一人でもくもくと作業をしていましたが、なにやら午後から予定があるらしく、必前にそそくさと軽トラに乗って行きました。

↑大手組あたりからもらった古い側溝フタを使って石積みしているが、このように錆びた鉄筋が露出しており耐久性に問題がある。せめて向きを逆にしてくれと要請してみたが、市長は完全無視の構え。↑

↑コーナー部分のところの地表面が回りよりも少し高くなっており、ここはあと4段程度積み上げる必要あり。↑

↑裏込めの砂利も業者からの払い下げか。これを岡田市長自らシャベルでかき込んでいる。↑
↑日曜日の昼までに2段目を積み終わったところ。しかし、横方向のすべりに弱いこのような工法で、果たして車を端に寄せた場合、大丈夫なのだろうか。転落防止策はどうなっているのか。岡田市長の説明責任が試されている。↑
ところが、夕方の午後3時過ぎ、やや日が傾きかけたころ、愛用の白の乗用車で岡田市長が再び作業着姿で現場に姿をあらわしました。その後、午後5時過ぎまで、薄暗くなる中で、岡田市長は一生懸命にシャベルを振っていました。
2日間で、側溝のフタを1.5段分積み上げたことになります。今後、どのような工法を取るのか分かりませんが、このまま側溝の中古フタを並べて積み重ねたとすると、あと4~5段積み重ねる必要があるようです。するとあと3週間必要になる勘定ですが、今後も週末ごとの突貫工事は勿論のこと、平日でも公務をほったらかしにして現場で作業着姿で土木工事に汗を流す岡田市長の英姿がみられるかもしれません。
そうすればなんとか来年1月3日と目される出馬宣言のセレモニーには間に合わせられることでしょう。
■なお、先日、岡田市長の甥からきた手紙について、岡田市長にコメントを求めたところ、「死んだ者(岡田義弘市長の兄の岡田佳充氏のこと)の言ったことなどしらない。ちゃんと書き物で残しておかなければ証拠にならない」とのことでした。どうやら岡田市長にとって信義というものがわかっていないようです。もっとも、地元ではかつて、水で薄めた牛乳を出荷したりして有名な方であり、議員になってからも二枚舌で鳴らす市長ですから、信頼するなどという気持ちが希薄なのは無理からぬことなのかもしれません。
1月3日?の新年互礼会では、後援者の誰かに出馬要請の挨拶をさせて、岡田市長がおもむろに3選に向けた抱負を語るという茶番が行われるものと見られます。被選挙権は25歳以上の市民の誰にも与えられているわけですが、岡田市長が今度の選挙に向けて、どのような“公約”を掲げるのか見ものです。
岡田市長としては、公約は単なる選挙前にリップサービスに過ぎないと思っているのでしょうから、これまで不在だった助役にタゴを迎え入れて土地開発公社の事業をテコ入れする、などという公約が飛び出しはしないかと、いまから心配されるところです。
【ひらく会情報部】

↑一見、土木作業員と見まごうほど板に付いた出で立ちの岡田義弘・安中市長。なぜ、こんなところで、こんなことをしているのかは、本文をご覧下さい。↑
平日でも公務そっちのけでスコップをふるっている岡田市長ですが、それでは、あと4週間後に迫った出馬表明のセレモニーに間に合わないと思ったのか、週末も現場で作業を開始していました。

↑11月30日(土)の夕方の時点では、U字溝を逆に伏せ終わり、1段目の側溝フタを並べ始めていた。↑
■隣接地権者が12月7日(土)の午前11時に現場に行ってみると、一生懸命、側溝のコンクリート製の古敷板を、逆さまに伏せたU字溝の上に並べ始めていました。昼ごろまで一人で作業をしていましたが、要があるらしく軽トラックで家に戻っていきました。
翌12月8日(日)は、隣接地権者が午前8時に現場に行ってみると、既に岡田市長の作業着姿がそこにありました。自分の甥といっしょに現場で一心不乱に作業をしていました。

↑日曜日の早朝8時には既に現場で一心不乱に作業中。↑

↑市政のことよりどうやって石積み工事をやろうかと思案する岡田市長。↑

↑土地所有者の甥に側溝の中古フタを運ばせ、親族同士で手分けして作業する土地管理者の岡田市長。↑

↑朝日を浴びながら工事の手順を練る岡田市長。↑
その後、奥に積んであった中古側溝フタの移動を甥が終えた後、岡田市長はしばらく午前11時ごろまで一人でもくもくと作業をしていましたが、なにやら午後から予定があるらしく、必前にそそくさと軽トラに乗って行きました。

↑大手組あたりからもらった古い側溝フタを使って石積みしているが、このように錆びた鉄筋が露出しており耐久性に問題がある。せめて向きを逆にしてくれと要請してみたが、市長は完全無視の構え。↑

↑コーナー部分のところの地表面が回りよりも少し高くなっており、ここはあと4段程度積み上げる必要あり。↑

↑裏込めの砂利も業者からの払い下げか。これを岡田市長自らシャベルでかき込んでいる。↑

↑日曜日の昼までに2段目を積み終わったところ。しかし、横方向のすべりに弱いこのような工法で、果たして車を端に寄せた場合、大丈夫なのだろうか。転落防止策はどうなっているのか。岡田市長の説明責任が試されている。↑
ところが、夕方の午後3時過ぎ、やや日が傾きかけたころ、愛用の白の乗用車で岡田市長が再び作業着姿で現場に姿をあらわしました。その後、午後5時過ぎまで、薄暗くなる中で、岡田市長は一生懸命にシャベルを振っていました。
2日間で、側溝のフタを1.5段分積み上げたことになります。今後、どのような工法を取るのか分かりませんが、このまま側溝の中古フタを並べて積み重ねたとすると、あと4~5段積み重ねる必要があるようです。するとあと3週間必要になる勘定ですが、今後も週末ごとの突貫工事は勿論のこと、平日でも公務をほったらかしにして現場で作業着姿で土木工事に汗を流す岡田市長の英姿がみられるかもしれません。
そうすればなんとか来年1月3日と目される出馬宣言のセレモニーには間に合わせられることでしょう。
■なお、先日、岡田市長の甥からきた手紙について、岡田市長にコメントを求めたところ、「死んだ者(岡田義弘市長の兄の岡田佳充氏のこと)の言ったことなどしらない。ちゃんと書き物で残しておかなければ証拠にならない」とのことでした。どうやら岡田市長にとって信義というものがわかっていないようです。もっとも、地元ではかつて、水で薄めた牛乳を出荷したりして有名な方であり、議員になってからも二枚舌で鳴らす市長ですから、信頼するなどという気持ちが希薄なのは無理からぬことなのかもしれません。
1月3日?の新年互礼会では、後援者の誰かに出馬要請の挨拶をさせて、岡田市長がおもむろに3選に向けた抱負を語るという茶番が行われるものと見られます。被選挙権は25歳以上の市民の誰にも与えられているわけですが、岡田市長が今度の選挙に向けて、どのような“公約”を掲げるのか見ものです。
岡田市長としては、公約は単なる選挙前にリップサービスに過ぎないと思っているのでしょうから、これまで不在だった助役にタゴを迎え入れて土地開発公社の事業をテコ入れする、などという公約が飛び出しはしないかと、いまから心配されるところです。
【ひらく会情報部】