単気筒ライダー(だった男)のひとりごと

愛犬チビ と CB400SSライダーだった前期高齢者の日々

そんな野暮じゃないぜ

2023-08-16 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

東北地区大学ラグビーリーグの日程がHPに掲載されていました。

岩手大の岩手会場での試合は、9/3 、9/17、10/15 だけど・・・

3日はボコボコだろうし、勝てそうな試合が鵜住居じゃあ、遠いしなあ。

消去法で残ったのは9/17水沢桜つづみ会場の東北大戦、たまには勝つところを観たいよ。

 


 

一昨年以来なんだね。あん時はカマさんが大変だったんだよな

今回も二人に声かけたら来てくれるかなあ。この時来られなかったヤス君にもね。

ヤス君はヨメさんと一緒に来ればいい・・・待て待て、まずは家主の了解が先だ。

 


 

足取りが少々疲れ気味かと感じたけど、内川のカモに癒されて少し元気が出た。

右大腿部の怪我がやっと回復したあと、7月からは一日おきのペースで走っています。

疲労の度合いからして、これが今のボクにはベストなのかなあ・・・猛暑疲れもあるしな。

 


 

夏の炎天下、へろへろになって走るボクの脳裏に、いつも母校の硬いグランドが浮かんでくる。

限界まで疲れ切ってもボケる奴がいて、きつい激!のツッコミにも妙に可笑しみがあってさ。

この歳になっても、酷暑に導かれるように走る原動力は、きっとあの夏に培われた・・・

なんだろ? 根性とかじゃなくて、何十年も後になって、じわーーっと湧いてくる何か。

 


 

コン先輩、ガン先輩、それって、何なんですかねえ。

もちろん、直接、両先輩に尋ねるなんて、そんな野暮なことはしません。


ケンジんとこの酒

2023-08-11 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

ムスメ家族が先日、福井県にあるという恐竜博物館への一泊旅行から帰って来た。

恐竜なら勝山市じゃね、ラグビー部の後輩がいるから接待(冗談)させようか?

出発前にムスメにメールを送ったら、「遠慮しておく」だってさ。

お土産のカップ酒、「一本義」はケンジんとこの酒じゃねえか。

今晩、あのケンジの顔を思い出しながら飲んでみるかあ・・・吹き出さないようにしてね。


2023夏ツーリング(2/2) 年下の男の子

2023-07-23 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

宮城県栗原市一迫(旧一迫町)の大きな木造水車。

しばらくぶりに見たけど、灌漑に役立っているようには見えないんだよね。

景観美だけの観光用かなあ・・・知らんけど。

 


 

国道4号沿いにあるコンビニ併設のパーキングエリアで小休止。

いつもここでコン先輩の好きなキンキンに冷えた黒ラベル缶を調達するんだ。

 


 

国道4号を北上、ほどなく本日二つ目の県境を越え、岩手県一関市へ。

道々、もうこのルートはボクの日常に溶け込んでいるなあと思いながら走ってきた。

ありがたい縁が繋いでくれる道なんだよなあ・・・なんて思ったりしてさあ。

 


 

勝手知ったる・・・と言っちゃうと先輩に怒られるけど、着くとホッとするよ。

陽を浴びた素敵なガーデンがニコニコしながら手招きしているようだぜ。

ならばと、庭から入りかけたけど、それは失礼でしょう。玄関にまわり、来たよー!

 


 

先輩と対座して大きく息をついて、また来ましたあ・・・と挨拶をした。

リビング越しに見る庭の佇まいは、明日からカフェの営業ができるほど品よく仕上がってる。

美味しい珈琲をいただきながら、体調のことから始まるいつものジジババ・トークが続く。

 


 

「何食べる?なんでもあるよ」と言ってもらったけど、いつもの蕎麦で・・・・

これ、いつもの蕎麦じゃない・・・うめーなあ! 乾麺?と聞いたら、生だって。

カツオもうめーーなあ! 一杯やりたいところだぜ。

 


 

気になっているんだけど、栗駒山はさあ、ボクだけが登りたがっているのかなあ・・・

キクちゃんは微妙な表情で、「行けるとこまで行くよ。ダメな時でも一人で戻れるから」

そうはいかないさあ・・・、みんな忙しそうだし、それぞれ事情ってものがあるしね。

 


 

仲間たちとの思い出話をしているうち、キクちゃんが何か違和感を覚えたみたい・・・

Oka ・・・おめえ、何ぼだあ? ニッパチ生まれでキクちゃんと一緒じゃん。

いっこ下だと思ってたじゃあ。 えっ? 今さらかよ。

実は、OB会名簿も、いっこ下のヤスたちと同じになっているんだよ。

卒業年を問われて、年度で回答するところを年次で回答したからだと思うんだよね。

 


 

でもさ、先輩の奥様だもの、ボク等にとってはキクちゃんは姉御さんだと思っていたよ。

いつまでも年下の男の子でボクは構わないよ、アイツのように可愛くはねえけどさ。

先輩んちを辞す前に、キクちゃんとセプターを撫でに「丘」に向かった。

今度はしっかり場所を覚えたから、またふらっと来てみますよ。


2023夏ツーリング(1/2) 国道47号

2023-07-22 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

ボクのところから一番近い最上川の夏の景色。

 


 

今日は土曜日、夏を楽しむ人の姿があちこちに見られるね。

対向車も、ほとんど庄内浜を目指していると思われる山形ナンバーの車ばかり。

 


 

振り返ってみると、盛夏の頃に単車を転がすのは七年ぶりだった。

夏は暑いから走らないなんて言っていたボクが、歳を重ねたら妙に前向きになった。

 


 

最上川の支流、最上小国川に架かる橋の対岸は、瀬見温泉。

ボクんちから一時間ちょっとの距離だけど、何故か入ったことのない温泉なんだ。

新しくなったという共同浴場に今年のうちには是非お邪魔したいと思っています。

 


 

国道沿いの一瞬の景色ですが、いつも目を奪われる最上小国川の迫力ある渓流美。

チラ見しながら素通りするのが常でしたが、今日はゆっくり鑑賞しましょう。

 


 

山峡の光と影のコントラストは、いかにも「夏」ですねえ!!

多分、渡れないと思いますが、あの吊り橋まで戻ってみましょう。

今日のボクは、何故か腹が据わっています。

 


 

東北電力瀬見発電所、明治45年使用開始は県内二番目に古いと書いてあります。

さっきの渓流美は、発電所の取水ダムによって生まれたのかあ・・・

 


 

アユの簗場のある観光施設を過ぎると、上流にはアユ釣りの人の数も増えてきた。

友釣りですかあ、釣りに限らずこの頃のボクはそういうのが・・・で、いけません。

敢えてアングラーの群れは撮らず、ただただ長閑な小国川の夏を写真に収めた。

 


 

出発して一時間ほどでまずは最初の県境を越えて、道の先は宮城県。

道路案内板には大崎・鳴子とありますが、あの有名な鳴子温泉ですよ。

 


 

温泉街に入る手前、文字通り大深沢橋から鳴子峡のいつもの一部だけ覗いてみる。

これまで何度も橋からは覗いても、一度も遊歩道に下りて散策したことはないんだ。

 


 

橋の歩道には、馬鹿でかい望遠レンズを装着したカメラを据えてチャンスを待つ人が二人。

今か今か・・・の雰囲気はなく、何かのチャンスをゆっくり待っている様子に見える。

陸羽東線の電車を待つ「撮り鉄」とか、珍しい猛禽類の飛来を待っているとか・・・

 


 

国道47号は、山形・宮城両県とも山峡を通る区間が比較的多い。

夏とはいえ山陰に入ってしまうと、今回でも気温は23度まで下がった。

温泉に寄ってみたくなるには十分に体は冷えている・・・、通好みの川渡温泉へ。

 


 

最後に来たのは・・・・えっ!! 九年も前かあ。

ここの共同浴場は、エメラルド・グリーンの超熱い温泉なんだ。

 


 

残念・・・施錠されていて、玄関には「閉まっている時は・・・」の貼り紙。

近くの住民から解錠してもらう「ジモセン」によくあるアレだね、たぶん。

色々あるんだろうけど、よそ者がジモセンの浴場を利用しづらくなる流れは感じるよ。

鳴子温泉街を眺めながら時計を見たら九時半、一関コン先輩んちまであと一時間は掛かる。

温泉に入る余裕なんてなかったんだね、結果オーライということで先を急ごう。


盛岡の思い出を辿るガン先輩がいい

2023-05-05 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

日本海沿いに国道7号を北上し、秋田県由利本荘市から内陸部に入る。

国道105号周辺の里山には、まだ早春の風景が残っています。

 


 

ヤスから「足はどうする?」のメールを受け、盛岡までの足を二輪から四輪に変更した。

一緒に行かない?というせっかくのお誘いだし、ボクにもその気持ちがあったしね。

10時22分到着の電車で行くというヤスとJR大曲駅東口で落ち合うことにした。

 


 

列車が到着するたび、駐車場に秋田弁と標準語が賑やかに行き交うのがいいね。

ヤスが着く時間より30分も早く着いたボクの前に、突然ヤスが現れて、ビックリ!

帰省中の息子さんに車で送ってもらったとかで、ヤスコさんにも会えたし良かったよ。

 


 

心配だったヤスの体調も、すっかり回復したと聞いて安心。さて温泉はどこにしようか。

国見温泉どう?・・・国道46号から温泉への道の先は「全面通行止め」の完全封鎖。

さて、網張は前回行ったし、繋はデカすぎるしねえ・・・じゃあ、鶯宿温泉かどや旅館。

 


 

ボクは(もう10年も経つんだね)、一度訪れたことがあります。

小さい浴室がひとつだけの湯治宿。先客の女性が上がるまで帳場で待たせてくれた。

女将さんは80代の元気なおばあさん。待つ間、超ディープな南部弁を堪能したよ。

 


 

先客の女性は女将さんと同年代の顔なじみで、黙っているといつまでも上がってこないとか。

ボクらに気遣って、女将さんは帳場と浴室を何度も行き来してくれるけど、大丈夫ですよ。

おばあさんとオオタニ君の話やらたっぷり30分間ほど世間話をしたあと、階下の浴室へ。

 


 

懐かしいなあ・・・、あの日も今日のように日差しが射しこんでいたなあ。

先に足を突っ込んだヤスが、熱っ!!と叫んだ。そうかあ・・・ヤスは苦手だもんなあ。

ヤスはほぼほぼ半身浴で、かけ湯を繰り返していた。

 


 

ボクはいつまでも入っていられるけど、女将さんが心配しないうちに上がった。

鶯宿のお湯は熱いので、飲酒して入る高齢者の事故が何件かあったんだって。

風呂から上がった後も、缶ジュースをいただいたり、女将さんのおもてなしが続いた。

ボク等、南部ことばを聞けただけで十分だし、これで300円じゃ元を取れないよ。

 


 

小岩井入り口の渋滞を予測し、その先で国道46号に戻ったのに、渋滞に巻き込まれる。

道路事情が激変して、ボク等の記憶にある地図がもう通用しないんだよね。

オサムから現役が12時頃から試合をすると聞いていたので、様子を見に大学に寄った。

 


 

試合は終わっていると思って来たけど、砂埃の中から鈍い激しい衝突音が聞こえてきた。

現役と若いOBの激しい試合を観て、よくあんなことをやっていたなあとヤスに話した。

やっぱり、もうできないなあ。

 


 

久しぶりのキャンパス内をブラブラしているうち、ほどなく午後三時。

遠くをぶらつくヤスに戻るよう電話を入れ、仙台から来るガン先輩を盛岡駅にお出迎え。

ガン先輩を乗せ、今度は一足先に宿に着いているキクちゃんを迎えにホテルへ。

大人四人を乗せた庄内ナンバーのボロ軽は、ガン先輩がときめきそうな思い出の地を辿った。

 


 

高松の池、高松マンション跡、合宿所だった高松亭、上田通りでは上田会館跡を探した。

岩手大学に戻り、キャンパス内の車両規制に惑わされながら、農学部あたりをうろうろ。

ガン先輩にこの辺は初めて来たと言わしめるほど、岩大のキャンパスは広いんです。

あの時代を人一倍色濃く残すガン先輩の思い出のエピソードは、もう面白すぎて楽しい。

アメリカ帝国主義粉砕!! 授業料値上げ絶対反対!!の大看板は、遠い昔の彼方ですね。

 


 

ガン・コン両先輩が暮らした同胞寮416号室は、いつも入り浸っていたボクにも思い出深い。

ボクが盛岡を離れる日までの一週間ほどは、416号室にしけこんでいた。

盛岡を離れる朝は、416号室から盛岡駅に歩いて行った。416は忘れないよ。

ガン先輩が自分が暮らした部屋を見上げて、「エアコンが付いているんだあ」とつぶやいた。

 


 

ホテルに向かおうとしたら、ガン先輩とキクちゃんの思い出の地が大通りあるという。

駐車場に車を止め、残っていて欲しいと願いながら、さわや書店二階の喫茶店を探した。

お互いを知らない二人が同じ時代の盛岡に共通の思い出の場所があるって、いい話だね。

 


 

喫茶店「オンディーヌ」、店内に入ると昔懐かしい純喫茶の静かな雰囲気に感動した。

ブレンドコーヒーの深くても後を残さない優しい味がいい。味覚音痴ですが。

この界隈でのガン先輩とキクちゃんのそれぞれの思い出話が、もう愉快で愉快で!

静かな雰囲気に気遣いはしたつもりでも、ジジイとババアたちのお喋りですから。

キクちゃんと店のオーナーの息子さんとの50年ぶりの再会も素敵でしたね。

 


 

盛岡組はオサムだけと聞いていたけど、「いかり」には酒席が六つ・・・あと一人はフク君。

ホヤ酢の物、カマス塩焼き、旬のタケノコ、カツオ刺し、カキフライ、そして「菊の司」

「いかり」の味を堪能しながら交わした楽しいお話は、今回も遠く記憶の彼方、残念。

 


 

ボク等の思い出話に10歳若いフク君が付いてこられるように、ボクが所々解説する。

ヤスとキクちゃんがニヤニヤしながらその様子を見ている・・・なんだよ、それ!

キクちゃんは橋本聖子に似ていると言ったら、ヤスが「俺は・・・に似ている」に吹き出した。

・・・が思い出せない。ボクは?とキクちゃんに尋ねると、宮沢賢治だってさ。

 


 

夕方5時で始まった「いかり」を出たのは(画像データによると)9時を過ぎていた。

フク君と別れたあと、オサムに言われるがまま、開運橋を渡った。

 


 

開運橋と旭橋の間の右岸沿いに小洒落た居酒屋群が出来たのは知っていたけど、初めて来た。

レモン・サワーを二杯飲んだことまでは覚えているけど、何を食ったか記憶がない。

北上川の川風が心地よかったことと、意外に静かな環境だったという印象はあります。

 


 

くいしん坊のカウンターに空徳利並べて飲んでたボクが、洒落たテラスでレモン・サワーかあ。

今の盛岡を楽しみつつ、ボクの盛岡はぼやけはじめたボクの遠い記憶の中に残るだけだね。

行きたい街世界第二位の騒ぎに、そーっとしておいて欲しいなあとヤスがつぶやいた。

正直、ボクも同じ気持ちなんだ・・・、ボク等の居場所がなくなるようでさあ。

 


 

翌朝、コンビニのコーヒーを片手に開運橋に立ち、岩手山と対峙した。

昨日のことの記憶が断片的に脳裏によみがえってきた・・・妙な気分だね。

「Oさん、いつまでも元気でいてくださいね。」

念を押すようにガン先輩に話していたキクちゃんの言葉が、ボクの心にも響くよ。

 


 

岩手山だけは、いつになっても変わんないね。

受験で盛岡駅に下り、開運橋から見た岩手山に圧倒されて、51年の月日が過ぎた。

すべてはそこから始まった縁が、今も繋がっていることに感謝だね。

 


 

楽しかった姫神山からもう四年も経つんだね、栗駒山も楽しみにしているよ。

カマさんも来るだろうし、ガン先輩には須川の湯がいいリハビリになると思うしね。

じゃあ、またね。


五月に思いを馳せる

2023-03-30 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

今朝気づきましたが、昨夜遅くにオサム君からメールが入っていました。

山を張って宿の予約をした5/4当日に、OB戦が組まれそうだとのこと。

ひとまず、よかったね・・・・だけど、瑞々しい緑の芝生の上とはいかないようですね。

 


 

走りながら、グランドに集う仲間の笑顔を思い浮かべた。

それにしても、思い切って超早めに宿を予約していてホントに良かった。

なにせ、盛岡が今年世界の都市で二番目に行きたい街になっちゃったんだから。

オオタニ君だけじゃない、ボクらも世界の観光客と競わないともう盛岡には行けないよ。

 


 

五月に盛岡を訪れるのは、四年ぶりになりますね。

五月の盛岡の爽やかな空気は、文字通り「風薫る」の枕詞そのもの。

「隠された宝石 気の流れがいい町」という外国人記者の評価は的確です。

 


 

あとは四年前と同じように、晴れてくれたら言うことなし。


セプター(SCEPTRE)の時代

2023-02-17 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

路の途中、一年ぶりに鳴子饅頭8個入りを二つ買い求めた。

一つはボクんち用、そしてもう一つは、これから伺うコン先輩んちへのお土産。

店の奥さんと思しき女性の余りに控えめで圧のないもの静かな対応がいいんですよ。

 


 

築館町の市街を過ぎたあたり、国道4号のバスベイに車を止め、栗駒山をしばし眺めた。

目論見では、四年前の姫神山の次のお山として、もう山頂に立っていたはずなんだけどね。

もたもたしている間に、どんどんお山が遠のいていくぜ。

 


 

この冬は、奥羽山脈を挟んだ表も裏も、雪の量は少ないようだね。

伊豆沼に近いこの辺りの上空には、いくつもの水鳥たちの群れが飛び交っています。

これから始まる北帰行の準備だよ!と言わんばかりに、物凄くせわしなく見える。

 


 

ピンポーーンと押しながら、インターホンに「来たよーーー!」とご挨拶。

ドアを開けてくれたキクちゃんと一年ぶりの再会。そんなに間が空いてしまったんだね。

玄関に入ると、優しいお香の香りがほんのり・・・・、上品ないい香りだね。

 


 

珈琲を飲みながら、お互い自分の歳に馴染めないというジジイとババアのお喋り。

傍で若い人たちが聞いていたら、「すっかりジジイとババアだよ」というかな。

先日、ヤスに話したこのゴールデン・ウィークの予定をキクちゃんにも告げた。

あとは御大のガン先輩には・・・今がいい、早速、電話・・・出た!

「いいねえ、楽しみにしているよ」と言って頂き、ホッとした。

「先輩には今も敬語なんだね」とキクちゃん。そりゃ、そうだよ。

 


 

お喋りしている間にスゴイね。手際の良さにびっくりだよ。

相変わらず、天ぷらの揚げ具合も最高だし、調理師免許は伊達じゃなかったんだね。

コメをざるに上げていたのが見えたけど、まさかの炊き込みご飯・・・さすがだよ。

 


 

三陸海岸は、この方向かなあ・・・

キクちゃんにお願いして案内してもらったのは、車で5分ほどの小高い丘の上。

穏やかな青空の下だったから、なお一層解放感にあふれ、とても落ち着けた。

 


 

おおっ! セプター(SCEPTRE)じゃん! 思わず満面に笑みがこぼれた。

素手で撫でながら、その手触りを確かめた・・・いいねえ、あの感触。あったかいよ。

キャプテンの蹴りだすボールをコン先輩とガン先輩が追いかけ、ラン・パスで戻ってくる。

お久し振りに練習に来たいつもの二人が、「ドンドン」を繰り返す・・・黙々と繰り返す。

先輩、走ってくださいとお願いしながら、フラフラの二人の背中をボクとハシヅメが押す。

そうだよなあ・・・ボクらは、茶色の革製のあのセプターの時代だったんだよなあ。


隠された宝石 気の流れがいい町 

2023-01-17 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

昼食摂りながらテレビを観ていたら・・・、びっくり!!を越えて、笑ってしまった。

ニューヨーク・タイムズが、世界で最も行きたい町の二番目に「盛岡」を選出したんだとさ。

伝えているMCの表情に、「なんで? 眉唾じゃねえ?」感が透けて見えるぜ。

 


 

NY紙に推薦文を寄稿したのがこの人らしい。

僭越ながら、とてもいい感性をお持ちの方とお見受けしました。

隠された宝石、気の流れがいい町かあ・・・、うん、うん、ボクもそう思う。

 


 

ボクにとっての「盛岡」はここだよ・・・、もうボクの記憶の中にしか存在しないけどね。

「隠された宝石」とまでは言わないけれど、今に思えば、いい気が流れていた場所だった。

 


 

それにしても、何に驚いたと言って・・・食いすぎだよ、この人。

ボクが現役時代のラグビー部にあっても、150杯は堂々トップの成績だよ。

ちなみにその時のボクは74杯、場所は「直利庵」だったけどね

女だてらにとは言わないよ、禁句だからさあ・・・ でも、この人が一番の驚きだよ。


2022晩秋(2/2) 主要地方道盛岡横手線

2022-10-30 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

午前7時、最上階9階の部屋からフロントに下り、一番近いコンビニを尋ねた。

出て左に行くとあります・・・、いやいや遠いよ、来てみりゃ大通りの入り口じゃん。

 


 

珈琲とチーズパンを手に、桜城小学校の校庭前の小路を北上川のほうにブラブラ歩く。

爬虫類ショップ? 居酒屋と棟一つの小さな建物の狭い間口にドアひとつ・・・不気味だね。

爬虫類は大の苦手、可愛さのない鳥もボクの中では爬虫類に分類されて、それも苦手なんだ。

 


 

学生の頃、高松から盛岡駅行きのバス通りだった北上川沿いの狭い道に出た。

旭橋がすぐ上流側に出来てからは、今のバス路線はそっちを周っているのかな。

早朝散歩する市民の様子をよくテレビで観ていた北上川の河畔に初めて下りてみた。

 


 

早朝の空気と北上川の静かなせせらぎの音がそうさせるのか、とても心が落ち着く。

学生の頃、中津川には川辺の遊歩道はありましたが、北上川にはなかった・・・と思うよ。

申し訳ないけど、当時の北上川は散歩したくなるような様相じゃなかったしね。

 


 

上流には旭橋、その桁下の先には夕顔瀬橋が見える。

こうして見ると、夕顔瀬橋から駅前はこんなに近かったのですね。

徒歩が唯一の移動手段だった当時のボクには、この辺りは随分遠く感じたんですけどね。

 


 

川辺から初めて眺める駅方向のビル群の景色が、とても新鮮に映ります。

田舎者のお上りさんであることを差し引いても、落ち着きのあるいい街だと思います。

晴れた日曜の朝の静かな空気が、そのように演出してくれているのでしょうか。

 


 

遊歩道を行き交う市民の人たちも、それぞれのスタイルで散歩を楽しんでいます。

やっぱり早朝(といっても7時を過ぎてる)ということもあって、高齢の方が多いかな。

川面を覗いていて、意外に感じたことがひとつあります。

 


 

カモたちが、ボクが近くでじーっと観ていても、逃げずにそこに留まっているのです。

ボクの安いカメラでも、ズームせずともこんなに鮮明に写せるぐらいに近いんだよ。

ボクの地元のカモと比べ、肝が据わっているのか野生を捨てたか・・・、街のカモは違うね。

 


 

開運橋・・・この武骨でレトロな鉄骨の橋が、盛岡の名所のひとつになるなんて。

橋の上にいては分かりませんが、橋脚がないことも見栄えを良くしているとも思います。

 


 

橋の歴史を知らせる案内板には、ボクが初めて知る宮沢賢治の歌が記されていました。

 そら青く 開うんばしの せとものの らむぷゆかしき 冬をもたらす

この橋を「二度泣き橋」と呼ぶ由来を地元が語りすぎると・・・、ちょっとねえ。

 


 

開運橋左岸の交差点に交わる通りの一つ、ボクの好きな菜園通りについて検索してみた。

名の由来は南部藩の菜園があったことにあり、95年には映画のロケ地にもなったとか。

「口紅」というミステリーで、主演の服部妙子さんはボクの好きだった女優さんですね。

ちょっと調べてみるだけで、色々知ることのできる時代になったもんですね。

 


 

8時過ぎにホテルに戻りましたが、ガン先輩からもカマさんからも何の連絡もありません。

起こしては悪いと思いつつ、こちらから連絡を取らないと先輩には失礼だしねえ・・・

白沢せんべい店開店の時間を見ながら、先輩には「お先に失礼します」と電話を入れた。

電話しても出ないカマさんには、「白沢せんべい店によって帰る」とメールを残した。

 


 

帰りは、主要地方道盛岡横手線から国道107号国道13号とつないで帰ることにした。

雫石町に入り、どーーんと出迎えてくれる男助山には、「また来るよ」と声をかけた。

いつかは登ってはみたい山だけど、傾斜は半端ないし、ガイドの当てもないしね。

 


 

沿道の畑で栽培されているのは、たぶんリンドウかな。岩手県の名産ですもんね。

西和賀町や県北の安代町あたりでも広く栽培されているのを見たことがあります。

 


 

山伏トンネルを抜けて、秋田県との境をなす和賀山塊に目を奪われるのは、いつものこと。

右端のピークが最高峰の和賀岳・・・かな。

このバイクで真昼温泉から林道を走り、美郷町に抜けたことがありますが、もうこりごり。

 


 

標識「貝沢野」を一度は通り過ぎたものの気になってUターン、標識の矢印に従った。

県道から入り間もなく、小岩井農場を彷彿させる広々とした草原が現れた。

うわーーー、気持ちいいなあーーーー、でもここが「貝沢野」なのでしょうか。

 


 

県道に戻りさらに進むと、妙に存在感のある鳥居が農道の中ほどに立っていた。

鳥居もそうですが、傍に立つ標柱の真新しさに惹かれ、鳥居をくぐり奥へと進んだ。

 


 

そこに立つのは、神社の由来の説明板かと思いきや、「川舟断層」と記されていた。

一瞬、呆気にとられながら、何々・・・神社の由来には全く触れていない説明文を読んだ。

130年ほど前の大地震による延長15キロに及ぶ大断層の最北端が、ここだとある。

 


 

周囲をきょろきょろ・・・ここが最北端なら、この方向に断層が伸びていることになる。

上下変異最大2mとありますが、目の前の段差でも1mは優にある・・・これかなあ?

 


 

これが駒形神社の本殿、その由来は・・・

ボクに人一倍の宗教心があるわけでもないし、キリがないのでもう由来の検索はやめた。

ボクは、ぽつんと立つ鳥居や祠とその周辺の風景が、なんとなく好きなだけなんです。

 


 

昼食はおよね食道のそばにしようと思っていましたが、開店前だったので通過。

国道107号に入り、西の方角には暗~~い雲がかかり始めてきた。

朝の予報では、日本海側は午後二時を過ぎると雨だったので、それまでには帰り着きたい。

 


 

ちょうど昼時、「道の駅さんない」で好物の立ち食いソバを・・・、なんだこりゃあ!

その混雑にびっくり。駐車場は満車だったけど、二輪なら何とかなりそう。

売店に行くと、まだできないの~顔で待つ大勢の人を見て、昼食は諦めバイクに戻った。

 


 

湯沢ICから東北中央道に上がり、雄勝こまちICで下りたところで雨が降り始めた。

コンビニの駐車場で雨具を着たけれど、県境を越えたら雨は上がり、拍子抜け。

その後、西に傾むく日差しの中、雨の降った跡を残す路面を走り、午後3時に帰宅した。

楽しい仲間と再会を果たした盛岡の旅が、今シーズン最後のツーリングになります。

思い出の余韻に浸りながら、今シーズンは心置きなくバイクを降りることができました。


2022晩秋(1/2) 盛岡へ

2022-10-29 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

雨を覚悟して雨具を着て出たのですが、外はもう降り始めていました。

南から移動してくる雨雲を鳥海山がくい止めていたので、県境あたりで天気が回復した。

細心の注意とゆとりを持って走りましょう、230キロ先の盛岡へ。

 


 

秋田県に入り、大内JCTから国道105号に下りて、まずは大曲へ。

出羽丘陵を越えて走る沿道の風景が、この道を初めて走った時から好きでした。

 


 

かつては大内町や南外村の集落内を通る区間も多かった。今はバイパス化が進みました。

昔の風情が懐かしくて、わざわざ旧道を探して走ることもあります。

 


 

出羽丘陵を越え大曲に入ってからは、風景も明るく開けてきました。

玉川を渡れば角館です。JR田沢湖線の斜張橋が目を引きます。

町の風情が様変わりしてしまった角館には、一瞥もくれずボクは素通り。

 


 

あれは和賀岳でしょうか、当てずっぽうですけど。

山の向こうは西和賀町の有名な産直ハウスのある辺りですかねえ。

たぶん、明日の帰りの道は、そこを通るつもりです。

 


 

せっかくなので、メジャーな観光地のひとつ田沢湖に寄り道をしました。

盛岡までのルート上にある行楽シーズンの渋滞スポットが、角館と田沢湖と小岩井農場。

通る時間帯を考えないと、とんでもないことになります。

 


 

ヤス君と一緒だったら、ここから乳頭温泉に寄ってひと風呂浴びたいところ。

9月も半ばを過ぎた頃、着の身着のままの格好でみんなで泳いだことがありました。

八幡平を周って玉川の露天風呂に入ったあとだったかな。みんな二十代だったからね。

 


 

国道46号に戻り、仙岩峠を越えます。

あと、もうひと山かあ・・・・、久しぶりにバイクで行く盛岡は遠いよ。

 


 

仙岩峠の山々の紅葉はもう終盤の彩りです。

砂防堰堤から滝のように流れ落ちる渓流がいいアクセントになっていますね。

 


 

渓谷に広がる紅葉を観るには、どうしても渓谷に架かる橋の上になってしまいます。

二輪とはいえ、路肩の狭い橋の上にバイクを止めることは大変危険です。自戒を込めて。

坑口前の空いた場所にバイクを置き、徒歩で移動をしていますが、それでも緊張します。

 


 

ようやく、岩手県との県境にある仙岩トンネルの秋田県側の坑口まで来ました。

仙岩道路が開通したのはボクが大学を卒業した年の秋。

今でこそ長さ2600mは珍しくありませんが、ボクが初めて通った長大トンネルです。

 


 

仙岩峠を越えて国道46号を走りながら眺める岩手山の姿に、色々去来する思いがあります。

雲に覆われその姿を拝むことができないのではと覚悟もしましたが、よかったよかった。

 


 

小岩井付近で、「花巻IC辺りだよ」と鎌さんと同行するガン先輩から電話があった。

二人を待たせちゃいけないと思いつつ、懐かしい場所にちょっと寄り道。

ヤス君、大きなビルも建ったけど、この景色にはあの頃の空気がそのまま残っているだろ。

 


 

ヤスとボクが入れ替わりでお世話になった下宿屋が、ほとんど当時のままで残っています。

リンゴ畑の丘の上の下宿屋も、久保高脇のラグビーマンションも無くなっちゃったからね。

ここは卒業する年の一年間だけだったけど、色々あったし思い出深いですよ。

 


 

 

夕川瀬町商店街通りは、何年か前に通った時より商店街の色が薄れてきた感じがします。

大学まで通った路がまだ残っているだけでも、ホッとしますけど。

 


 

夕川瀬通りだけは当時のままだけど、その周辺の様変わりには戸惑うばかり。

最後の一年間でしたが、この界隈と縁が持てたことが良かったと思うのは何故なんでしょう。

 


 

今夜の集合場所「いかり」は、正面の大きなホテルのすぐ裏です。

ボク等が泊まるこのホテルは、昔はホテルサンルートじゃなかったかなあ。

正面のホテルだって経営が変わったようだし、三代目としては身につまされる話だよ。

 


 

「いかり」に入って早々、ジュンちゃんにキクちゃんが来られなくなったことを話した。

もうはっきりとわかる表情を見せて、ジュンちゃんはガッカリしていたよ。

鎌さんのたってのリクエストで、Nさんにも仲間に加わてもらいました。

 


いつもの通り、何をワイワイやっていたかはもう覚えていない。

全国トップレベルにあった当時の岩手の高校ラグビーの話とか。

県トップを競う盛工黒工の監督さんのこととか。どちらもボク等の大先輩。

両校に限らず、鉄拳制裁ありの時代だったんだね。カツがぶん殴られるのはわかるけど。

 


 

オサムが電話を掛けだした。秋田のヤス、福井のケンジ、京都のアライにもかあ・・・

Nさんが持っているのはボクの携帯。ボクがキクちゃんに掛けて渡したんだっけ。

オサムには、来年OB戦があったら一緒に出よう!と念を押したのは覚えている。

 


 

ガン先輩が運転免許証を返上したと聞いていたけど、不便すぎてやめたとか。

鎌さんに泉ヶ岳の話をしたら、あそこはつまんないといった話とか。

山はわからないという鎌さんが、山はオサムが何でも知っていると話したこととか。

 


 

誰かが食道園とか口にしていたけど、「いかり」で解散したと思う。

そんなに飲んだ覚えはないけど、飲み代5千円を支払ったあたりから記憶が消えている。

眼鏡もしていたしフロントでキーも受け取っているから、しっかりしていたとは思うけど。