先日届いた母校農学部の同窓会誌の記事に、思わず、「えっ?!」
古賀潔先生は東大出身で、ボクが四年の時、助手として赴任された。
気さくで真面目。ボク等と怖い担当教授との間に立ってくれた、よき兄貴分でした。
たぶん、「農地造成」所属のボク等五名が、初めての指導学生だったと思います。
このアホ面は、ボク。 茨城県旧七会村のCd汚染田で、稲の根の進入状況を調査中。
「渋いねー。」会って間もない二十二歳のボクに、古賀先生が言った一言。
「渋い」という意味が理解でず、その時は、ちょっと、嫌な気がした。
「落としている単位を拾いながらやれるほど、ここの研究室は甘くない!!」
学科内で一番厳しい T教授の言葉に、劣等生の頭には「留年」の二文字がよぎる。
研究室の仲間とも、うまくやっていけるはずもなく、ほろ苦い思い出だけが残っている。
きっと、ボクなんかのことは・・。そう思うのは、古今東西、劣等生の定めです。
古賀先生が大学を去れば、学内に時代を共有する人はなく、ボク等の痕跡も消える。
「歳をとっていく」 ということって、こういうことなんですねえ。