単気筒ライダー(だった男)のひとりごと

愛犬チビ と CB400SSライダーだった前期高齢者の日々

最終講義

2015-01-15 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

先日届いた母校農学部の同窓会誌の記事に、思わず、「えっ?!」

 


 

古賀潔先生は東大出身で、ボクが四年の時、助手として赴任された。

気さくで真面目。ボク等と怖い担当教授との間に立ってくれた、よき兄貴分でした。

たぶん、「農地造成」所属のボク等五名が、初めての指導学生だったと思います。

 


 

このアホ面は、ボク。 茨城県旧七会村のCd汚染田で、稲の根の進入状況を調査中。

「渋いねー。」会って間もない二十二歳のボクに、古賀先生が言った一言。

「渋い」という意味が理解でず、その時は、ちょっと、嫌な気がした。

 


 

「落としている単位を拾いながらやれるほど、ここの研究室は甘くない!!」

学科内で一番厳しい T教授の言葉に、劣等生の頭には「留年」の二文字がよぎる。

研究室の仲間とも、うまくやっていけるはずもなく、ほろ苦い思い出だけが残っている。

 


 

きっと、ボクなんかのことは・・。そう思うのは、古今東西、劣等生の定めです。

古賀先生が大学を去れば、学内に時代を共有する人はなく、ボク等の痕跡も消える。

「歳をとっていく」 ということって、こういうことなんですねえ。