夫のゲイブ、娘のゾーラ、息子のジェイソンとともに夏休みを過ごすため、
幼少期に住んでいたカリフォルニア州サンタクルーズの家を訪れたアデレードは、
不気味な偶然に見舞われたことで過去のトラウマがフラッシュバックするようになってしまう。
そして、家族の身に何か恐ろしいことが起こるという妄想を次第に強めていく彼女の前に、
自分たちとそっくりな“わたしたち”が現れ・・・というあらすじ
前作「ゲット・アウト」アメリカの差別意識をテーマに、アカデミー賞にノミネートされ、
脚本賞を受賞するなど大きな話題を集めたジョーダン・ピール監督の新作だ
自分たちの影(シャドウ)がある日突然現れて、いきなりおそいかかる。
くすんだ赤い服を着た彼らはみな武器のはさみを持ち、つぎつぎ現れては別の自分を殺すのだ。
最後の回想シーンで「えっ」とは思ったものの、考えをめぐらすとどうも収集がつかなくなる。
混沌とした心もちでもう一度筋をたどるとますますわからなくなってしまうような・・・
いったいどういうことなのと思いながら、海沿いにメキシコに逃げようとする家族の目の前に
赤い服のシャドウたちが海に浸かりながら手をつないで一列になったシーンが現れる
それらは海にも陸にも山にも連なって延々と続く・・・
トランプの国境の塀を思い、「えらい皮肉やなあ」と苦笑い・・・
「私たちはアメリカ人」と影はきっぱりと言っていた。
アメリカ人が国を捨てて、シャドウたちが乗っとるとでもいうのだろうなあ
冒頭の古びたテレビのシーン、1986年
約650万人のアメリカ人が15分間手をつないだ融和と平和を祈るイベントを紹介していたし
小さなアデレードはマイケルジャクソンのスリラーのTシャツを着ていたし
息子のジェイソンは名前も仮面も意味深
そしてもう一つ 「エレミア 11章11節」も気にかかる
たくさんのうさぎはクローンの象徴?
最初は白いうさぎがほとんどだったがあとからいろいろなウサギが映し出されたし
Hands Across Americaと影たちの復讐と復活祭と
ただ私は小さなアデレードはあの時入れ替わったものの
あの遊園地の世界はシャドウの世界のような気がしてならない
ショックで声が出なくなったのではなく
最初から話せなかったのだ
そして14歳でやめたバレーの踊りのシーンが気になる
またそこで入れ替わったのではないだろうかと思えてならない
シャドウは声を振り絞っていたからあれはやはり本当のアデレードではないような気がする
アデレードがどんどん強くなり、戦闘モードに入ったようになる
執拗に追いかけるものの、とどめを刺さなかったり挙動不審だ
人は戦うことがやはり本能なのだろうとかさえ思えてくる
子どもたちの変わりようも激しい
最後の方は血だらけになっておびえることも忘れたような顔つき
ぎこちない動きがシャドウを思わせるが、今は本物も影もどちらでもいい気がする
のっとったものが生きながらえるが、一部のカリスマが牛耳るのだから同じことだ
アメリカ人は多様で日本人の私には到底理解できないところが多々ありそうだ
アメリカ人と胸を張りながら、アメリカ人を捨てるような映画が出てくるのだから
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