サラリーマン時代、いつも手帳に挟んでいた切抜きの一つが手元にある。話は少し交錯するが、平成5年5月27日付の日経新聞のコラム『知ったかぶりと知らんぷり』である。これは野村證券の田淵節也相談役が文藝春秋平成5年6月号に寄せた一文『アメリカの「かくし味」』の一節を、更に日経新聞のコラム子が紹介したもの。当時私は両原文を読み感銘を受けた小文で、その後も折に触れて思い出される。
『知ったかぶりと知らんぷり。どっちも仮面にかわりはないが、ずいぶん違う。野村證券の田淵節也相談役が総合雑誌に寄せた小文を読んで、つい考え込んでしまった。ちょっと紹介しよう。
▼昨年暮れ、クリントン政権の顔触れが決まる前のこと。米国務省の昼食会で「品のよいおばさま」と隣り合わせた。たまたま新財務長官はだれになるか話題になった。きっとした顔で彼女いわく。「知っているのはクリントン一人。まわりには知った顔をしている人は多いけど」。これはただものではない、と田淵氏は直感したという。
▼案の定、おばさまはワシントンの陰の実力者だった。英国貴族の出で、チャーチルの息子を含む結婚歴もあり、はなやかな生涯を送ってきた富豪で、苦境の民主党を支えたパトロンらしい。名はパメラ・ハリマン。その功が報われて駐仏大使に指名されたが、政界に群がる知ったかぶりたちを歯牙(しが)にもかけない凛(りん)とした顔が、目に浮かぶようである。
▼悲しいもので、人事となると人は浮足立つ。タメにするうわさを吹聴してまわり、恥も外聞もなく猟官まがいのお追従に血道をあげる人種がどこにだっている。人事スズメが横行するなかで「知ったかぶり」でなく「知らんぷり」を装う難しさ。覚えのある人もいるだろう。
▼企業の決算発表の季節である。新役員人事で人事欄は連日あふれかえっている。出世に敗れ肩を落とす人、抜てきに胸を張る人……サラリーマン社会の悲喜劇の陰で、パメラ夫人のように超然と「知らんぷり」が通せる人は、いったいどれだけいるのだろうか。』(平成5年5月27日付、日本経済新聞『春秋』)
『知ったかぶりと知らんぷり。どっちも仮面にかわりはないが、ずいぶん違う。野村證券の田淵節也相談役が総合雑誌に寄せた小文を読んで、つい考え込んでしまった。ちょっと紹介しよう。
▼昨年暮れ、クリントン政権の顔触れが決まる前のこと。米国務省の昼食会で「品のよいおばさま」と隣り合わせた。たまたま新財務長官はだれになるか話題になった。きっとした顔で彼女いわく。「知っているのはクリントン一人。まわりには知った顔をしている人は多いけど」。これはただものではない、と田淵氏は直感したという。
▼案の定、おばさまはワシントンの陰の実力者だった。英国貴族の出で、チャーチルの息子を含む結婚歴もあり、はなやかな生涯を送ってきた富豪で、苦境の民主党を支えたパトロンらしい。名はパメラ・ハリマン。その功が報われて駐仏大使に指名されたが、政界に群がる知ったかぶりたちを歯牙(しが)にもかけない凛(りん)とした顔が、目に浮かぶようである。
▼悲しいもので、人事となると人は浮足立つ。タメにするうわさを吹聴してまわり、恥も外聞もなく猟官まがいのお追従に血道をあげる人種がどこにだっている。人事スズメが横行するなかで「知ったかぶり」でなく「知らんぷり」を装う難しさ。覚えのある人もいるだろう。
▼企業の決算発表の季節である。新役員人事で人事欄は連日あふれかえっている。出世に敗れ肩を落とす人、抜てきに胸を張る人……サラリーマン社会の悲喜劇の陰で、パメラ夫人のように超然と「知らんぷり」が通せる人は、いったいどれだけいるのだろうか。』(平成5年5月27日付、日本経済新聞『春秋』)