てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

ふれあい(愛)デー

2008-07-26 17:56:58 | ファミリー


 今日は母がお世話になっている幸輝園の中の、母の住まうやすらぎ1丁目の「ふれあい(愛)デー」。定刻の2時前に到着すると、介護師が涼感あふれる夏菓子を氷に盛り付けるなど準備の最中であった。

 今日はやすらぎ1丁目入園者の家族に一斉に呼びかけ、入園者ともども一堂に会しての茶話会という趣向。尤も当園は今日に限ったことではなく、いつ訪問しても湯茶やおしぼりを出す行き届いたサービスをしてくださる。

 連日の酷暑のため熱中症に倒れるのニュースが賑わうが、園内は空調が適度に整い暑さ知らずの天国さながら。お陰様で母は食欲もあり、体調もすっかり回復して、心なしか頬もふっくらしてきた。
 このところは今までになく状態が良く、全て分かっているかのよう。かみさんが背中を擦りながら話しかけると笑顔を返して相槌を打ち、時には声を発しようとさえする。かみさんに促されて母の手を取ると握り返してくる。介護師の説明では以前のようにスプーンから食べることもあり、そうでない時は好物ならストローで凄い勢いで飲むそうだ。

 各部屋や廊下のあちこちに“ふれあいの輪(和)”が出来上がり、嬉々とした声が響いていた。次は来月9日に恒例の夏祭りを催してくださる予定。家族や町内の人々までが大勢参加して、毎年盛大に和気あいあいと開かれる。介護師、ボランティアスタッフのお世話があってのことだが、入園者は今から夏の夕べの一時を心待ちにしていることだろう。

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「2007/8/11 お盆休みの光景」

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燃える男!星野仙一

2008-07-25 16:02:19 | スポーツ
 夏の高校野球岡山大会は24日、倉敷市中庄のマスカットスタジアムで決勝戦があり、倉敷商が関西を降し11年ぶり7回目の夏の甲子園出場を決めた。わが母校岡山東商は第1回戦でまさかの敗退であった。

 7月25日付の産経新聞によれば『今夏が創部77年という“節目”の倉敷商。北京五輪五輪で金メダルを目指す偉大な先輩・星野仙一監督の背番が「77」。金谷主将は「星野先輩にこの優勝を喜んでもらえれば。目指すものは一緒。ぼくらは甲子園で優勝します」と誓った。 母校の11年ぶりの優勝を伝えられた星野監督は「甲子園出場おめでとう。暑い夏に倉商も頑張ったし、(北京五輪では)私もその勢いにあやかりたい」と話した』と報じている。
 
 そもそも倉敷商と岡山東商の間では、部活動を通じて切磋琢磨することを目的に定期戦行われており、昭和29年11月(戦前)に第1回が開催されて以来続く伝統的行事である。両校からは多くのプロ野球選手を輩出しているが、中では平松政次が同級生である。一方、倉敷商の同級生にはヤクルトスワローズで活躍した松岡弘、そして1年先輩に星野仙一氏がいる。

 両校の定期戦では、在学中に1度(2年生の時)倉敷商に応援に繰り出したことは覚えているが、どのスポーツだったかまるで思い出せない。無論松岡のことも星野さんのことも全く記憶にない。
 先日も同級生が集まる茶話会でその話に及んだのだが、キムは小生と同様だった。流石に応援団に所属していたO田は、「当時から両氏のプレーは光っていた」とその人並みはずれた技量のことをはっきりと頭に刻んでいた。

 さて、その星野仙一氏の野球人生をたどる「星野仙一記念館」が3月19日、倉敷市内にオープンした。いずれは訪れて見たいと念じていたところ、孫に先を越されてしまった。町内のソフトボールで活躍する孫は、ひと足先に両親に連れられ見学を果した。野球のこととなると無我の境地になるのか、大のジャイアンツファンの孫は今日の星野仙一記念館来訪のことを、口角泡を飛ばして話してくれた。

 歩んできた道も、行く末も全く違う“燃える男!星野仙一”には遠く及ぶべくもないが、強いて言えばかすかに近似点を見出した。
 1947年1月22日生まれの星野氏に対して、小生も同じ1月生まれ。そして60年の歳月を経て、身長180cmに僅か及ばない分、体重では氏の83kgを辛うじて凌いでいる。
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岡山県立図書館

2008-07-22 12:37:35 | 暮らしと生活





岡崎さんから山火事の一部始終を教わるくだり

 昨日の音楽発表会の会場となった岡山県立図書館は、県の財政状況が厳しい中で約140億円の巨費を投じて2004年(平成16年)9月に旧丸之内中学校の跡地に開館した。全国に誇る大きな中央図書館である。
 日本図書館協会の調べによると2005年、2006年度の入館者数および貸出冊数は全国トップである。特に2006年度の入館者数は100万9337人であり、全国で唯一100万人を越える入館者を記録している。休日には入口から近くの道路に行列ができるほどの大盛況であると聞いていた。

 昨日はコンサート開演前を利用して初めてのぞいてみた。早速試しに『スガレ追ひ』(井伏鱒二)を検索し、カウンターで待つこと10分ほどでお目当ての本が出てきた。
 小欄「2008/5/23 黒い雨」でも触れたこの本、ネット検索ではヒットするものの、何処の書店でもあった例がない。30年ぶりに念願の本を手にして、真っ先に件の岡崎さんが登場する数箇所を見出し懐かしく拝見した。ふとしたきっかけで、思いがけず探しものが見つかった感がする。

 病気療養のため牛窓を訪れた井伏鱒二氏が、一番に“新聞取次所”に出向く。そこで岡崎さんから地元の菅田内科や調停委員を紹介され、さらに調停委員からは牛窓近辺の見物に連れ出される。
 牛窓を引揚げ帰京してから、牛窓・阿弥陀山で起きた山火事を案じて岡山の親戚に問い合わせるが詳報が分からず、業を煮やして岡崎さんに電話で一部始終を教わる。
 『四月三日、牛窓の岡崎さんから來た手紙には、山火事の址は赤茶けて、ヤマザクラの木が芽を出してゐるだけだと書いてあつた。(昭和五〇・六「新潮」)』でこの章が括られている。

 同図書館の人気の高い理由として、蔵書の多さを挙げる人が多い。発売される書物の約7割に当たる年間5万冊を購入しており、蔵書数は85万冊で全国16位となっている。
 我が家から同図書館までは距離にして約5㎞。これまで本を借りて読む習慣はあまりなかったが、活用しないてはない。とても重宝しそうだ。
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音楽教室発表会

2008-07-21 17:58:45 | 舞台、ライブ

中林仲哉氏による
「アルハンブラの思い出」の独奏

 ギタリスト中林仲哉氏の主宰する音楽教室の生徒らの発表会が21日、岡山県立図書館多目的ホールで開かれ、部外者なれども鑑賞させていただいた。
 発表会のサブタイトルには「音のアトリエ和 比較文化センター」(Comparative Culture Center)とあり、一風変わったプログラムであった。

 オープニングは尺八と筝で、中林仲哉さんが筝を始めたばかりのヨスマル夫人との共演である。
 続いては今回の開催に先駆けての呼びかけに応じて一般参加者のフルートの独奏があった。更に生徒と中林仲哉さんによる三重奏。
 後は一般参加者と同音楽教室の生徒が交互に独奏やら二重奏など、日頃の練習の成果を次々に披露された。中でも今年の3月から初めてギターに手を染め、「主よ人の望みの喜びよ」(J.S.Bach)、「素朴な歌」(佐藤弘和)、「TripticoよりARMIDA」(Antonio Lauro)の3曲を見事に弾きこなした松岡奈津実さんのガッツは見上げたものだ。ギターレッスンに精進する身としては、ライバル意識が芽生え、大いに励みになった。
 最後は、中林仲哉さんのギター演奏をBGMにスペイン語による詩の朗読があり、最後はお待ち兼ねの「アルハンブラの思い出」で締め括られた。

 よく冷気の効いたホールの中ではあったが、クラシックの名曲を始め唱歌まで幅広いジャンルの曲を、外の猛暑をはね返すほど熱気に満ちた素晴らしい演奏を聴かせてくださった。
 今日まで馬鹿の一つ覚えのように「アルハンブラの思い出」ばかりいい続けているが、もっと視野を広くと促されているような、そんな素敵な音楽会であった。

【関連サイト】
ギタリスト中林仲哉の主宰する 岡山市にある音楽教室
岡山のあるギタリスト中林仲哉の公式ブログ


中林仲哉夫妻を真ん中に尺八と筝の演奏

フルートとギターによる三重奏

深澤隆雄(右)、佐藤潔両氏による二重奏

ギター歴5カ月の松岡奈津実さん

プロ顔負けの木多隆志さん

ギター演奏をBGMにスペイン語による詩の朗読
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カポックに花芽

2008-07-20 17:31:32 | 暮らしと生活

ブドウの房のような無数の蕾

 15年以上も前から栽培している観葉植物カポックの枝の先端に、まるでブドウの房のように小さな無数の蕾がついた。どうやら花芽が上がったようだ。
 カポックは、生長して木が古くなってくると、白っぽい花を咲かせる。未熟なうちは黄色、やがて桃色になり、熟せば赤色になる実がつくということを初めて知った。

 永年風呂の脱衣場においていたのだが、春先に大きい鉢に植え替えをし、ゴムの木と一緒に戸外に出している。多少日焼けして葉の色はあまり良くないが、1カ月ほど前から次々に蕾が出始めた。ここからはとてもスローペースで、花が咲くのはまだまだ先のようだ。皮肉にも庭先のピオーネは花芽が数えるほどしかつかなかっただけに、「吉兆」ではと蕾と共に胸を膨らませている。

 カポックの正式名は「シェフレラ・アルボリコラ」で、0℃程度の低温にも耐え、乾燥や日光不足にも強く挿し木、取り木で増やせる。丈夫で草姿がよく花言葉は「とても真面目」だそうだ。
 序ながらネットで調べたら『カポックノキは、アジアの熱帯地域で、20m以上にもなる。10㎝くらいの紡錘形の実をつけ、熟すと実が割れて「カポック」とよばれる綿毛がとれる。これがカポック繊維で撥水性に優れ、枕やクッションなどの詰め物として使われている。第二次世界大戦中は、救命胴衣などにも利用されていた。それで、今でも競艇界では救命胴衣(ライフ-ジャケット)のことを「カポック」と呼んでいる』とのこと。


蕾がやがて白っぽい花を咲かせる

色とりどりの実
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