てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

冬本番

2011-01-16 17:16:00 | 気象・気候
 気象情報によれば、強い冬型の気圧配置の影響で、日本列島は日本海側を中心に大雪が降るなど荒れ模様となっているようだ。
 昨日から始まった大学入試センター試験だが、悪コンディションの中ではあるがどうにか受験生の皆さんが全員無事に臨み、日頃の勉強の成果を存分に発揮できることを祈る。

 昨夜は珍しく寝室のエアコンをかけっぱなしで就寝した。そして明けた今日、一日の大半を過ごす私の部屋でもエアコンでは間に合わず、ファンヒーターに切り換えたほど。

 それでも日本海側のことを思うと、恵まれた当地の寒さなどまだまだ序の口で、そうそう“ファンヒーターの守り”ばかりはしておれない。
 澄み渡った冬空のもと、寒風を突いてのウオークに出掛け、鈍ったからだに活を入れた。
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後始末

2011-01-15 20:04:00 | ノンジャンル


 5年前に枯れた樅の老木(高さ3.5m×直径26㎝)が風雪に耐えて立ってはいるが、枯れた以上は無用の長物であり、台風にでも遭い倒れたら危険と思いながら、その処分に手子摺っていた。

 何事においても一度思い立ったら何としても念願成就を旨とする私としては不本意で仕方がなかった。そこで一念発起して取り掛かった。
 チェーンソーはあるので、あとは切断後に倒れ掛かることを想定して、いかに処置するかが喫緊の課題であった。

 家内と無い知恵を絞り出し、大木にかけたロープを四方八方へ張り巡らし、それに備えた。事前準備に少し手間取ったが、2時間がかりで無事切り倒し、60㎝サイズに切り刻んだ。

 この樅の木は子どもの頃、弟とよく登って遊んだ思い出の大木。10数年前に枯れた御用の松に続いて、わが家のシンボルとも言える老木がまた1本姿を消し寂しい限りだが、松の跡地へは7~8本もの苗木が芽を出しスクスクと育っているのがせめてもの救いだ。

※後刻談
 『寒風をついてとんでもないことをおっぱじめたと渋っていたが、万一にも大木の下敷きとなって“命日”なんぞにしてはならじとの思いが頭をかすめ急いで手伝った。』と夕食の時に、家内は胸の内を明かした。

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ホームメイドの味わい

2011-01-15 17:20:00 | グルメと料理





義妹からの心尽くしの品々

 かつて小欄で、玄人跣の腕前の義妹が作ってくれた「こぎん刺し」のことを話題にしたことがあるが、その義妹が私の誕生日にと、手作りのアップルパイ、カップケーキ、干し餅などをいっぱい詰め込んで贈ってくれた。

 とても家内と同胞とは信じ難いほど、料理や裁縫に長けており、ほんとに器用にこなし、これまでに家内に洋服をリフォームしてくれたりもした。上の写真のパイとケーキが乗ったランチョンマットにしても、義妹が母の形見の着物からリフォームしたもの。

 このところコーヒータイムにも極力間食を抑えるなどカロリーコントロールを心掛けているのだが、今日だけは特別。早速に「アップルパイとカップケーキ半分」をダブルでとても美味しく頂いた。
 「どうもありがとう、ご馳走様でした。」

 お金さえ出せば何でも手に入る暖衣飽食の世の中にあって、手間暇をかけ心を込めて作った手作りに優るものはない。ホームメイドならではの、えも言われぬ味わい深いものがある。
 但し、これで軽く350kcalは下らない。夕食のおかずを一品控えるとしようと思っている所へ、今度は三男の家からも夕食のために手作りの一品が届いた。
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仕事始め

2011-01-10 09:56:00 | 農事
 6日は二十四節気の「小寒」で寒の入り、暦どおりの寒さが続いている。親父が念仏のように「寒の内に田起し」といっていたことを思い出した。

 コメ作りをする場合、稲刈り後の「秋起こし」に始まり、真冬の「寒起こし」、田植え前の「春起こし」まで、トラクターで何度も田圃を耕さなければならない。
 不耕起栽培のことも頭を過ぎったが未だ結論をみていないので、取り敢えず例年の如く完全防寒スタイルで臨んだ。

 案の定、トラクターのセルモーターがうんともすんともいわない。急速充電を試みたが変化なし。前回のバッテリー交換から8年を経ているので、止む無くバッテリーを買いに走った。
 あるいは年代モノのトラクターなので本体の寿命かと、最悪のケースを想定したが、バッテリー交換だけでエンジンが快音を響かせた時にはほっとした。
 出足ですっかりもたつき、農作業に入る前から汗ばむほど。とんだ冷や汗をかいた。

 その後は全く順調で、いつものようにほぼ4時間がかりで、無事終了し今年の“仕事始め”となった。
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めでたさも三重

2011-01-07 16:33:00 | ファミリー
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3家族揃っての誕生日会

 「おかやまのじいちゃんお誕生おめでとういま、山口にきてるよ、また、来てね M歩より」。7歳にも満たない孫娘が自分で打ってよこした(という)、朝一のサプライズな祝メールである。

 家内はこの日を以って自分に、私の歳が追いつくものだから、一際嬉しいらしい。いつも当の私以上に喜んでくれる。
 小欄「2007/1/7 親へいし 子へいし」で触れたように、ヒトは生まれたときに産声を上げるものだが、私はこの産声を上げなかったそうだ。
 家内から「今年こそは“へいし除け”をして、命を授けてくださった祈祷師さんを訪ねてみよう」と促されていたのだが、如何せん両親から詳しいことを伝聞していない今となっては何の手掛かりもなく為す術もない。

 初孫娘は私が年男の1996年正月、私の誕生日を待ちきれず前日に産声を上げ、至上のビッグプレゼントとなった。
 これで家族では母、私に続いて、松の内が誕生日というめでたい3人目となった。いわずもがな、この吉報は1996年の年賀状を飾ることとなった。

 今夕は我が家で、その孫娘と私、そして天国の母とのトリプル(プラス大晦日生まれの長男も)誕生日会を祝うことになっている。これでめでたさも二重三重なり。

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1996年(平成8年)の我が家の年賀状

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