201系電車と鉄道に関するブログ
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スハネフ15
富士・はやぶさが14系になって、東京でもスハネフ15を見ることが時折あります。東京でスハネフ15を見るとこの写真を思い出します。
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△東京駅でさくら、スハネフ15を撮影、昭和61年頃撮影
正確な月日は不明ですが、すぐ後のアルバムにこんな映像がありました。分割民営化直前ということになります。
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東京でスハネフ15を見つけたときはとても驚きました。もともとは関西~九州間の列車に使われていましたので、東京で見ることは出来ない系列でした。今でこそ14形も15形も同様に使われておりますが、デビュー時は14形は3段寝台、15形は2段でした。
25形100番台とほぼ同形の15形ですが、前頭部の形状は200番台を模しています。25形100番台の前頭は完全な切り妻で、200番台は若干後退角をつけた折妻と呼ばれる形態となっています。
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オハネフ25-100番台
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オハネフ25-200番台、裾の帯が短いのが特徴
昭和55年頃撮影、熊本にて
この200番台の顔も東京では見ることが出来ませんでした。当時のはやぶさは東京~西鹿児島の間を結んでいましたが、付属編成は熊本駅で分割します。この付属編成の連結側にのみ200番台が入っていました。
25形を含む24系客車は必ず電源車が連結されるため、オハネフは電源車とは反対向きに固定して連結すればよいということで方向転換が出来ない構造になっていました。これでは分割面に向かい合ってオハネフを連結することができませんので、方向転換可能な200番台を作ったとされています。
100番台同士が連結面で背中を向けていても組成は可能ですし、方転した200番台が最後尾になって運転されることもありませんので、なぜそんなにまでして方転可能な200番台を作ったのか不思議に思いますが、中学生だった当時は前頭部が向かい合うことが当然と思っており何の不思議も思っておりませんでした。
なぜ、折妻になったかについては、切り妻同士が向かい合っていると、分割・併合時の作業スペースが狭いからだとか、これは最近知りましたがもっともだと思いました。前頭形状のデザインは見た目だけではないのですね。
同じアルバムを見ると、さくらの牽引機にEF70が使われていました。
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EF7086、さくら、博多にて
ニューブルートレイン全盛の時代。
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△東京駅でさくら、スハネフ15を撮影、昭和61年頃撮影
正確な月日は不明ですが、すぐ後のアルバムにこんな映像がありました。分割民営化直前ということになります。
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東京でスハネフ15を見つけたときはとても驚きました。もともとは関西~九州間の列車に使われていましたので、東京で見ることは出来ない系列でした。今でこそ14形も15形も同様に使われておりますが、デビュー時は14形は3段寝台、15形は2段でした。
25形100番台とほぼ同形の15形ですが、前頭部の形状は200番台を模しています。25形100番台の前頭は完全な切り妻で、200番台は若干後退角をつけた折妻と呼ばれる形態となっています。
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オハネフ25-100番台
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オハネフ25-200番台、裾の帯が短いのが特徴
昭和55年頃撮影、熊本にて
この200番台の顔も東京では見ることが出来ませんでした。当時のはやぶさは東京~西鹿児島の間を結んでいましたが、付属編成は熊本駅で分割します。この付属編成の連結側にのみ200番台が入っていました。
25形を含む24系客車は必ず電源車が連結されるため、オハネフは電源車とは反対向きに固定して連結すればよいということで方向転換が出来ない構造になっていました。これでは分割面に向かい合ってオハネフを連結することができませんので、方向転換可能な200番台を作ったとされています。
100番台同士が連結面で背中を向けていても組成は可能ですし、方転した200番台が最後尾になって運転されることもありませんので、なぜそんなにまでして方転可能な200番台を作ったのか不思議に思いますが、中学生だった当時は前頭部が向かい合うことが当然と思っており何の不思議も思っておりませんでした。
なぜ、折妻になったかについては、切り妻同士が向かい合っていると、分割・併合時の作業スペースが狭いからだとか、これは最近知りましたがもっともだと思いました。前頭形状のデザインは見た目だけではないのですね。
同じアルバムを見ると、さくらの牽引機にEF70が使われていました。
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EF7086、さくら、博多にて
ニューブルートレイン全盛の時代。
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