昨日はほとんど一日葬儀でした。式の間も斎場でも故人の思い出話が自然に出てきます。
このSisterと同じコミュニテイにいたとき、一日奉仕に出かけて疲れて帰ってきて「ああ、さすがにぼろくそに疲れた~」などと言うのを耳にしました。それから気をつけていると、時々、「ぼろくそ」という言葉を「ほんとに」とか「すごく」という意味で使っているみたいなのです。
さすがに温厚な老シスターが表通りで「ぼろくそによかった!」などと口にしない方がよかろうと思い、ある日、後輩として「ぼろくそ」の意味を説明しました。今まで本当に気付いていなかったそうで、恥ずかしいと言いながら、いたく感謝されました。たくさんある故人にまつわる思い出の中のさわやかな一つです。
背中で教えてくれる先輩でしたが、自分にも知らないことがあると認めるときの潔さ、年下の者から恥ずかしいことを教えられて謙虚に聴ける心の姿勢…
何歳であっても、自分は将来このように老いたいというイメージがわたしたちの中には多少なりともあると思います。こういう姿に憧れます。
このSisterと同じコミュニテイにいたとき、一日奉仕に出かけて疲れて帰ってきて「ああ、さすがにぼろくそに疲れた~」などと言うのを耳にしました。それから気をつけていると、時々、「ぼろくそ」という言葉を「ほんとに」とか「すごく」という意味で使っているみたいなのです。
さすがに温厚な老シスターが表通りで「ぼろくそによかった!」などと口にしない方がよかろうと思い、ある日、後輩として「ぼろくそ」の意味を説明しました。今まで本当に気付いていなかったそうで、恥ずかしいと言いながら、いたく感謝されました。たくさんある故人にまつわる思い出の中のさわやかな一つです。
背中で教えてくれる先輩でしたが、自分にも知らないことがあると認めるときの潔さ、年下の者から恥ずかしいことを教えられて謙虚に聴ける心の姿勢…
何歳であっても、自分は将来このように老いたいというイメージがわたしたちの中には多少なりともあると思います。こういう姿に憧れます。